イラスト14

KODOMO一景 2.妊娠判明

妊娠がわかった瞬間私の頭に思い浮かんだのは、よろこびでも感動でもなく、翌月ぎっしり詰め込んだ仕事のスケジュールへの不安と、大きな恐怖だった。

「そろそろ子どもを作ることを真剣に考えよう」と夫と話し合い、いわゆる妊活を始めた本当に直後のことだったので、「なんだかんだで早くても1年くらいはかかるかナ〜」などと考えていた(ある意味現実逃避していた)私には心の準備ができていなかったこともあるけれど、1年後にできていようが5年後にできていようが、結局同じことを考えたと思う。

元々私は子どもを持つことが非常にこわかった。
23歳の時、小学校の同級生が出産し、たまたま帰郷していた私のところへなぜか赤ちゃんを見せにやってきた。
慣れないだっこで同級生の赤ちゃんをワンワン泣かせながら、妊娠出産に至った心境を聞くと、同級生はさらっと「もう私はこの歳まで散々遊んだから、残りは子どもにあげてもいいかなと思って」と言った。
マジか……
私はその言葉に驚愕した。
同い年の私はその時大学を卒業したばかりで、自分のイラストや映像のこと、仕事のこと、そして遊びのこと、完全に自分のことで脳みそ100%占められていた。そしてびっくりすることに、30歳を過ぎても私の脳みそはそのままだ。
同級生の赤ちゃんは、もちろん可愛かったけれど、この生き物に残りの人生捧げられるかと言われたらよく解らなかった。

子どもができると、当然今までのようにバリバリ仕事をすることはできなくなって、ひょっとしたら他のクリエイターに取って代わられて、そのまま忘れ去られるかもしれない。
ふと思い立ってふらっと展覧会や旅行に行くこともできなくなる。
友達の誘いも断らざるを得なくなって交友関係も途切れるし、たまに会えても今までのようなお互いの作品や仕事についての話は短くなって、どうしたって子どもの話題が増えるだろう。
何より、これら全ての不安要素の根底に共通する「自分の人生が自分のものでなくなってしまう感覚」がとても恐ろしい。
ムーミンママの物語上の名前は「ムーミンママ」であるし、バカボンのママは「バカボンのママ」。自分という人生の主役の座を、自分以外のものに奪われて、名前のない脇役になってしまう気がしていた。

妊娠の兆候は、まずつわりからやってきた。
まだ病院でもはっきりと妊娠を確認できないタイミングだったので、具合は悪いけれど妊娠なのかただの食べ過ぎなのか、しばらくは判別がつかない。
治らない二日酔いみたいな症状が日に日に強くなっていくのを感じながら、仕事も手につかず毎日「つわり 症状」「妊娠初期 兆候」などのワードでググりまくって、どうにか不安をおさめようとしていた。
しかし私が「妊娠していない確証」「妊娠が不安な人向けの記事」が欲しくて必死なのに対して、出てくるのは妊娠したい人に向けたネット記事や妊活ブログばかり(今考えると当たり前なんですが……)。妊活ブログはどれも非常に切実で、自分がどれだけ贅沢で子どもじみているのかを思い知らされる。
こんなにも子どもが欲しい、自分以外の誰かのために人生を使いたい人でこの世は溢れているのに、30過ぎて私は何やってんだ……。
世の中の人たち皆思ったより成熟していて、自分ばかりが未だにモラトリアムにこだわっている。劣等感でいっぱいになりながら、でもやっぱり妊娠の兆候を素直に喜ぶことができなかった。
気休めにもならない検索ウィークを経て、1週間後にはっきりと妊娠が確定した。

10月頭、エンドレス二日酔い状態はさらに酷くなっていく。
10月には、友人経由でイラストの仕事をさせていただいたアーティストのライブを皆で観に行く予定があった。映像作家の友人とのトークイベントも控えていた。
ライブの方はスタンディングだったので、とてもじゃないが耐えられる気がせず、私だけ予定をキャンセルした。この時、「あ、もう気軽に外出できない10年だか20年だかは始まっているんだ」と実感して、わんわん泣きながら夫に「代わりにお前が妊娠しろ!」と生物学を超越した無理難題をふっかけ、八つ当たりをした。(夫には妊娠ナーバス期に他にも散々迷惑をかけまくっていて、もう頭が上がらない)
トークイベントの方はお客さんにチケットを買っていただいているので絶対に穴を開けられず、私もかなり前からとても楽しみにしていたので、電車に乗るのもつらかったが、新大久保の会場まで文字通り這いつくばって向かった。イベントが始まると緊張とハイで気が紛れたのか、不思議とつわりのことは忘れて進行することができた。楽しみの1つだった「飲酒しながらのトーク」はおあずけになったけど。

イベント後、一緒にイベントをした友人たちに、初めて子どものことを打ち明けた。
私の友達はいい意味で自由にモラトリアムを謳歌している人ばかりで、イベントの友人はその代表格みたいな人だったので、子どもができたらあっという間に距離ができてしまうのではないかと本当に不安だった。
優しい友人たちは一緒にショックを受けてくれ、不安な気持ちを共有してくれた。
「もし本当につらいなら、妊娠をやめる選択肢はないのか」、つまり中絶の可能性の話まで親身になって考えてくれたが、そう言ってもらって冷静に考えてみると、相棒である夫は非常に子どもを楽しみにしているし、何より子どもはもうこの世に存在している。宇宙に対して、そこまで強情にわがままを通す気にはどうしてもならなかった。
つまり、ぐだぐだ言おうがもう肚決めるしかないのだ。

友人に「もし私がインスタに子どもの写真をあげまくったり、twitterで子育て1ページ漫画を描く作風になったら、叱って目を覚まさせて欲しい」とお願いしたが、「みなみさんはそうなれないと思うし、万が一そういう変化があったらそれはそれで幸せだと思うよ」と言われた。まったくその通りだ。
そこでやっと私は、なるべく自分のモラトリアムは守りつつも、子どもという現実にも向き合って行くという自分なりの欲張りな指針を立てた。結局どちらも捨てられないのだから、後ろめたく思うのはやめて両立させていけばいい。
これが最後と、友人が飲みきらなかったレモンハイをもらって飲み干したが、焼酎が濃くてくらくらになってしまった。

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