電波の積極的受信について

きたかみさんは昔バンド、というかアコースティックデュオを組んでいて、その相方に、
"〇〇〇〇(当時のきたかみさんの愛称)って話が突然飛ぶよね、ハリーポッタのBGMが流れそうなくらいに"
というような話をされたことがあります。

その時に思い出したのがさらに昔のバンドPIERROTというグループのボーカルも、メンバーから同じようなことを言われていたとエッセイに書いてありました。普段からあまり自分の中の熟考について何も説明せずに、回答だけ出力をするから、聞いた人が宇宙猫になってしまうという。

はたまた話がブラジルするようですが、人は一人では生きられないらしいです。本当にそうなのかしらと訝しんでいると、話は言葉通りの単純なものではなく、そもそも周りの環境の形が自己にギュギュッと押し迫り、できあがったおにぎりが"私"の形ということらしく、人間レイヤー以外のレイヤーも含め、自己オブジェクトの集合と補集合の話であったという、"人は一人だけで生きているわけじゃない"というのはそういうことだときたかみさんは解釈しています。

電波の受信はつまり補集合の摩擦のことであって、あたりまえにありすぎて見えなくなっている"社会"のようなものも含まれます。チャネリングというと胡散臭くって楽しくなるので良いです。チャネリング。電波の受信を積極的にするとチャネリングということになると思います。

つまり、普段から何気なくしている"動き"一つとっても何か誰かどこか周りの環境からの声を聞いた結果、自分の選択と思っていたことが全て周りの環境からのおにぎりであって、電波の受信からは逃れられず、動いたり耐久材を構築したり喋ったり描いたり歌ったりすることはすべて外部環境の圧力にうながされたおにぎりとしての自己なんだと。

ここで"本当の自分が欲しい"という方向にハンドルを切ると2000年代の感じ平成な感じが出てきます。そういうコンテンツにもう飽きてしまっているので、もはや電波の受信、傀儡であることから逃れられないのなら、受信先を積極的に選択しようと思うわけです。

イメージはエベレストの山頂だったり100年1000年先の自分がいないであろう未来のことだったり、心に響いた言葉を残してくれた昔の哲学者、宗教家、スピリチュアリスト達の瞑想であったり。ふんわりとイメージするのはそのあたりで、ふんわりでなく具体的に刻むのは目の前にある"解る課題"掃除しなきゃとか洗い物しなきゃとか、"しなきゃ"ではなくて、目の前にあるものが解ること。そういうわかったり見えていたりする時に、全く同じ洗い物でも、その爽快感とかストロークが全然違う。楽譜もすぐにできる。きっとこの世界はとある惑星のとある動物の、その細胞の一部、組成する素粒子の挙動。ここはこの宇宙全体は実はそういう小さなものの中の一見ランダムな仕組みの一つで、自分が目の前のことが解ったとしたら、すーーーっとその仕事のようなものができたとしたら、宇宙計算機の"いち"素子としての自分の機能がそれなんだと思うわけです。

なので、お葬式で無理に泣かなくっていいし、成人式でやんちゃもしなくていいし、親族に不義理でもいい。

自分の機能は何なのか。それが解ったら行動する。すーーーっとできるやつをやろう。積極的電波の受信のお話でした。

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