君どうみたよー

きたかみさんは作品を鑑賞する時、その作品が内と外の線引きについてどう扱っているかを確認します。ヒューマニエンスというNHKの番組でも紹介されていたのですが、オキシトシン系の行動様式として、家族を守り敵を排除する暴力的な側面がオキシトシンにはあるらしいのです。

そうでなくても、

人間の特徴として、変化を求めかつ固定化も求め、自身のカレント思考レイヤーを、メタへ、メタへと拡張するバイアスがあるにも関わらず、どうしても、家族を作り敵を排除する物語がとても多いのが現状で、バランスが悪いように感じます。どこかで聞いたタモリさんの名言で、戦争の原因は愛だ、というような名言があったと思います。戦争の原因は一つではないと思いますが、さまざまな事柄は自己相似形を成し、個人の自伝のような物語の中に世界の全てが含まれていたりするものだと思っています。

悪意のない石というものはなかなかに作ることができません。作ることというものは線引きをすることであって、内と外を隔てることであって、それは細胞の膜や壁のことです。きたかみさんはそれらオブジェクトのことをノードと呼び、ノードとノードが関係しあっているネットワークを想像します。

じゃんけんのことを考えましょう。じゃんけんは成立しています。悪意のない石というのはじゃんけんの事です。石オブジェクトは石以外のオブジェクトから線引きされ区別されることによって名前が与えられます。オブジェクトを作った時、それはどこにどのように存在しているのかをよく考えてください。小屋を立ててみましょう。基礎、水平。金具と木材。これから訪れるであろう季節、風雨。長く長く残るオブジェクトは循環構造を成しているはずです。

悪意とはこの文章そのものです。きたかみさんもできる限り悪意をかき消したくて、それでもオブジェクトを作ってしまうのですが、作ったものを完全否定すれば、一つの観点レイヤー上においては、悪意をかき消せたといって良いのではないかしら?

悪意とは作る事そのものです。それでもどうしても世界や他者を愛しく思っています。一緒に泣きましょう。悪意のある積み木を積み上げて。

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