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Coldfusionノート|alnusとhimikoさんのオセロ

とあるプログラマーさんとの文章談義の回想です。
勝手に師匠って呼んでる人がいます。このはじめの文章を書いたのは2010年5月のこと。Coldfusionでプログラムを書き始めてから8年くらいたってやっと仕事でWEBアプリケーション作ってますって言えるようになった頃のことです。

2010年5月16日のBlogより

前職(2002年7月退職)の頃はほとんど定時(17時半)に終わって、18時過ぎには、家にいた。ご飯食べた後は、本を読むか、音楽聴きながらインターネットにアクセスをするか。
Yahoo!のオセロで一番対戦した"himiko"さんにオセロしながら色々教えてもらった。当時の僕の感覚だけで打っていたオセロは時々勝てる程度。そこでオセロにも定石があるというのを教えてくれたのも彼女でした。
色々、話しているうちに彼女がプログラマーだということで、プログラムについても色々教えてくれた。
そのなかのひとつで一番記憶に残っているのが、プログラムを書くことと、文章を書くことは同義だってこと。
小説は人が読むのだけど、プログラムの読み手は機械(パソコン)だというだけ。

僕が、ネットで短いお話を書いているのを知っていて、それを読んだうえでこういう話をしてくれた。

登場人物は「変数」
登場人物の背景や性格が「データー型」

変数がどんな姿になって表現されるのかを書くのがプログラムなんだよって。最後の姿がわかれば、そこに向かって文章をかくだけ、ただ、小説と違うのは道筋が一本とは限らないと言うこと。
同じ素材で結末の違うお話を何本も書くことなんだよって。

そこで話に出たのが「ゲームブック」あの構造がプログラムと同じ。

もう僕には「ゲームブック」という固有名詞が出てきた時点で雲を掴むような存在だった「プログラム」の姿がはっきりと目に見えて手の届くところにきたという感覚だった。

このあとも何度もオセロしながら雑談したりしていて、そのなかでプログラムは僕にはむいてるよと言ってくれた。
数学的なモノの考え方も出来るし、文章を書くことが好きだというのは貴重だって。
あと「オセロの打ち方」って言ってたなぁ、オセロの打ち方ってのだけは謎のままだったけどね。

多分、あの時の会話がなければ僕が易々とプログラムを仕事とすることを決意できていなかったんだと思う。
独学で、ここまでこれたのは彼女のおかげかな。

最近やっと、人にみせることの出来るプログラムを書き始めた。
いままでは一人でずっと書き続けてきたから自分がわかればよいと思ってその場しのぎの書き方をしてきたけど、それでも過去のプログラムを読み解くのにちょっと時間がかかるようになってきた。だからまず、「変数」の名前を付けるの時に、物語の登場人物の名前を付けるときのようにきちんと考えようって。名付けだけでプログラムの読みやすさ(人にとってね)は格段に変わる。

2023年7月2日時点で思うこと。

タグベースのHTMLを学ぶ機会は多いとおもう。そこからプログラムへ進むのはかなり大きな壁があるんだろうと今では思う。
多くのcgiはその用語のプログラムの中にアウトプットとしてHTMLを書く。
ColdfsuionのCFMLは、HTMLの中におなじタグで括られた命令を書いていく。HTMLと静かに融合して境目がわからなくなるくらい。
個人的な感覚「全体像があって、細かい部分をプログラムで制御して自分の欲するページを作る」というコトに非常にマッチしている言語なので、プログラムを書きながら出力結果が安易に想像できた。
最初はHTMLをメモ帳で書いていた素人が、独学で20年間、ブラウザベースのWEBアプリケーションをColdfusionで作ってきたのでプログラマーって言ってもよいのかなと思ってます。
20年前に色々教えてくれた先達のように、Coldfusionをつかっていきたいとおもってる人達に少しでも役立つノートであればと思います。


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