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僕とナポリタンの希望

この曲はみんなにとってどんなものになるのだろうか。

というかそもそも僕にとってこのナポリタンという曲はどんなものなのだろうか。
分からないから前に進めずにいる。多くの人に聴いてもらって、触れてもらってどうにかなる気持ちなのだろうか。分からないまま今日が昨日になる。聞き覚えのある言葉とともに誰かの言葉が嫌味に聞こえて、前に進もうとする誰かが眩しく見えてその光はずっとずっと苦しい。

この曲は自主短編映画の主題歌として今年の二月頃から作り始めた。初めて完成した楽曲に近しい音を鳴らせたのは三月末で、トントン拍子で完成すると思っていた。いや違うか、完成してほしいなと思っていた。  うん、叶わなかった。笑
僕はそもそもこれまでに誰かの為に何かを作るなんてことはしたことなかったからずっと迷っていたし、何に気持ちを込めるべきか分からなかったからギターとノートと向き合えば向き合うほど自分の芸術なんてオナニー止まりの誰にも届かない想いなんだと突きつけられて死にたくなった。というか完成した今もその気持ちのままだと思う。
商業とは無縁の場所で自分の音楽や言葉と向き合い葛藤することが滑稽で仕方なく思える日が増えた。お前の曲はいいと言ってもらえる度に満員電車で脱糞してついでにゲロ撒き散らして名も知らぬ人にカメラ向けられてSNSに晒されてもう社会にも出られないような人間にでもなってしまったらいいのにな、なんて思ったりする。思ったりするが実際そういう経験をした人がいるかもしれなくて、その人の気持ちなんか俺は分からなくて申し訳なくなるのも申し訳なくてやっぱり作り続けないといけないんだな、と我に返る。


ところで俺の思いは伝わるのかね。BPM118に乗せた言葉は果たして何も知らない誰かにも届くのかね。親知らずが生えてくる違和感と世の中に抱く違和感とが重なるこの時間もどうにか無理矢理でもいいから明日を生きる活力にして、解のないまま踏ん張ってくしかないのかね。
こんなことを思うのは自分だけでいいと思ったり、少しだけ同じ気持ちの人がいればいいなと思ったりして今年も夏が終わった。


僕はこの曲でいろんなものを失った気がする。でも紛れもなくこの曲を作ってる時だけは誰がなんと言おうと音楽家だった。この半年間は生きてるのが怖かったし、
きっとそれを誰かにぶつけてしまったりもした。それに対する罪悪感よりも自分を害するものから守らなければという思いが強かった。多分今も。

だからまだ昇華させるには早いんだよ。このまどろっこしさみたいなの抱えてないと不安の無さに不安になってしまう。みんな凄いからどんどん距離が離れてくけど俺は当分、この曲に沿って歩くよ。


人の顔も見れず自分の靴ばっか見て、言いたいことも言えない自分が凄く嫌いだけど嫌いが過ぎるおかげで作ることのできた曲だから、なんか、もしうまくいかないことあって消えちゃいたくなったりしたらこの曲思い出して聴いてあげてほしいです。消えない理由になってたりしてほしいです。
その度に僕が救われます。


歌詞
ユアンとタイシ

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