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霧雨50号
テーマ「SNS」
作者:f
分類:テーマ作品

 1 もう、時効かなと思った。

 すごく大事な約束……大事だ、と、ずっと思いこんでいた、約束。を、私は破ろうとしている。いま。まさに。
 スマートフォンを握りしめて、私は迷った。たぷたぷと無駄に画面をタップする。愛用のSNSアプリを立ち上げ、すぐさまホームボタンに触れる。またアプリ画面を開いて、ロード。アカウントを切り替えてロード。ロード。ロード。更新はない。ロード。あ、三件の新規投稿。ななめ読みした。内容はもう思い出せない。それよりも、約束だ。破ってしまうか、否か。それが目下の問題だ。
 私が破ろうとしている約束とはいったいどんなか、それを説明するためにはまず、友達を一人紹介しなければならない。約束するには相手が要る。ひとりきりでの決め事は約束ではなく矜持と言う。少なくとも私の中ではそう。矜持を捨てることと、約束を破ることは、少し似ているようでぜんぜん違う問題だ。
 話を戻す。彼女は私の古い友人だ。幼馴染と呼べるかは微妙なところだ。知り合ったころにはもう物心ついてしばらく経っていたように思う。変わった子だねと嘲られ、ひとりぼっちを耐えながら、しばらく生きていた記憶ならある。いまは遠い思い出、昔の話だ。
 彼女は人懐こいひとだった。人に馴れるのが苦手な私がすぐに打ち解けた唯一の相手だ。素直で、綺麗なものが好きで、こもれびのように笑う。そうしていつも寂しがっていた。寂しがり屋なのだという。そうして人に触れる。私に、触れる。
 好きな本が同じだった。同じものを見て、同じようにはしゃいだ。変わった子だねと微笑ましく囁かれるような。そういうひと。どうしようもなく惹きつけられた。なにに、と言われても困る。ただ、はじめて言葉の通じる相手を見つけたと思った。
 彼女はそういう友人だ。その彼女との約束を、私はいま、破ろうとしている。


2 境界線はないようであるようで、やっぱり見えない。

 いや、でも、約束。約束って言ったって大したことじゃない。別に。いまこうやって、よく考えれば考えるほどしょうもないというか。
 ただ、お互いのSNSアカウントに興味を持たないでおこうっていう、それだけの約束。
 ほんとうにそれが約束だったのかも、実はちょっと怪しい。約束しようと言いあったわけでもないし。私が勝手に約束だと思い込んでいるだけということもある。破るとか破らないとか、ぐるぐると考えこんでいるだけ馬鹿らしいって話かもしれない。
 かつてどんな言葉を交わしたのか、いまでも正確に覚えてる。
「でも、あたしらはさ、ネットでつながるってカンジじゃない、じゃん?」
 意味もなく私の手をとり、むにむにともてあそびながら彼女は笑う。下校のために電車を待つ、駅のホームだ。単線の線路の向こうには真新しい緑色の田が揺れている。たぶん、同じ高校に進学したばかりのころだ。
「だよねー。まあこうやって、ずっと一緒にいるしさ」
 私は否定をしない。頷いて、されるがままに笑み返す。私の手を離さないまま、彼女はうーんと唸った。私たちのからだに、私と彼女の区別はない。自由なほうの手で彼女の頬をつついた。彼女はふっと真顔になる。
「なんていうかな。自分が弱気になってるところ、きみにだけは見せたくないっていうか。そっちがSNSで何言ってるかとかも、知らない方が良いかなって」
「確かにね」
 私は肯定した。彼女が私の手をぎゅっと握りしめるのを、無感動に眺めている。袖口を撫でると少しだけ湿っていた。どんなに暑くても、学校指定のシャツは長袖を選ぶのが粋だ。ベストも合わせるともっと良い。暑い。でも、そういうことになっていた。
 私には彼女の言い分がわからなかった。おそらくは今でも。わからない。けれど否定する理由もなかった。ただ、彼女がSNSで私とつながりたがらないことを理解した。
 嫌われているとは思わなかった。彼女の提案は、私たちの関係にふさわしいもののように思った。だから。それを約束だと思った。私はその約束を今日まで守ってきた。守っている限り、私たちは私たちでいられる。だから。私は私の欲望のために彼女の言葉に乗った。
 彼女が私に見せない心など知らない方が良かった。知らないままなら、私たちはひとつの生き物であれると思った。思っていた。そのときは、切実に。


3 秘密を抱えて生きるのには才能がいる。

 でももういいかなって。もう時効かなって。感情も、約束も。両方。だってもう、昔の話だ。思春期のいたいけな感傷だ。
 いまでも彼女は友人だけれど、かつてのようにずっと隣にいるわけじゃない。ときどき会って、遊ぶ。食事を囲んで話す。気が付けば寄り添わなくなった。一人と、一人の距離で向かい合う。普通に。そう、普通に。彼女は(願わくば私も)普通が随分上手くなった。
 話すのは近況とか。ぽつぽつと。思い出話はあまりしない。昔語りに花咲かせるほど久しいわけでもないし。そうでなくともどことなく、かつてのことは話しづらい、気がする。いまでも互いのSNSは見ていない。だからお互い、直接語られたことしか知らない。そういうことになっている。
 優しいよね。優しい関係。見せたいものだけを見せあっていられる。抱えきれずにこぼれだした、どろりどろりしたキタナイなにかがあることは知って、知らぬふりをする。信頼だ。尊重だ。彼女の前でだけはまだ、子供の頃に繕っていたようなうつくしい存在でいることを許される。
 でも、知りたくなった。
 だってもうひとりじゃないもん。自分のいたみには触れたくないけど、他人のそれは魅力的だし。
 あの子が、独立した個人としてのあの子が、何を感じて生きているのか。あのとき何を感じて生きていたのか。いまさらに、いまだからこそ、知りたくて仕方がない。
 SNSには、きっとそれを知るためのなにかがある。
 だから約束……を。
 寂しい、のかな。たぶん。でも。寂しくなりたい。かも。そういう季節に……巡り巡って……

(寄り添うまでは簡単だ。手を握るのも。腰に腕を回す。首筋に顔をうずめる。青々とした泥の匂いが吹き抜けて、すべてを清潔にしてくれる)
(熱帯夜。を、ガラスで隔てた。空調の中で糊の効いたシーツに潜り込む。ひとつの。建物は子供たちで満ちている。ささめきあう気配に満ち満ちている。この白い、暗い、湿り気のなかには私たちきり。寄り添うまでは簡単だ。手を、脚を、搦める。頬を寄せる。首筋。耳元)(……くちびる)
(風が冷えて、草が散る。凍りついた土は灰色。スカートの下でひふがこわばる。抱きしめる。ぬくい。当然のことだ。そこにあって当然のぬくもり。意味もなく甘えた声で鳴きあってみる。ごわついた布地をさする。乾いている)

「あっ」
 彼女が手を振る。
 私の知らない人。彼氏だ、とか、いつか言っていたような。そっと振りほどいて向こうに駆けていく。
 熱が離れて、澄んだ空気が身を包む。急に軽くなる、からだ。その軽さがどうにも所在ない。
 彼女は寂しがり屋だった。私はその寂しさが好きだった。だから、寂しさを埋めてあげられない。どこまでも何かが欠けたままだ。ふたりでいるのが下手だった。あの子はそれをわかってた。意識下か無意識かは知らないけど。私には無理だって。
 彼女は私に無理を言わない。要求しない。ただ綺麗なばかりの寂しさをみせるだけ。傷口は確かにあって、それは世界に晒されている。けれども私には触れられない。直視することもできない。私のそばで彼女は憩う。けれど癒えない。
 痛い、と、思う。私も。
 傲慢にもほどがある。


4 寂しいのは良くない。らしい。

 そう、それで約束を破るかどうかだ。彼女が私にひた隠しにしてきた傷口を無遠慮に暴くかどうかだ。
 もう私たちはひとつじゃない。何かがあったわけではなくて、ただ、時間がそれを成した。子供たちは成長をする。どうやら私たちのことも、それは目こぼしてはくれなかった。
 スマートフォンをタップする。白すぎる画面が目にいたい。流れていく文字の羅列はどれも大した意味など無いように見える。アカウントは、その気になればすぐに見つかる。共通の友人とはそれぞれつながっていることだし。隠していたわけじゃない。ただ互いに興味を持たないと、そういう信頼の上に成り立っていただけで。
 その信頼を踏みにじるかどうかだ。もしかしたら、そこまでたいそうな話でもないのかも。そんな信頼など、初めからなかったものだと思い込めばいい。
 つながっている。それは確かに安心だ。退屈な日常の描写に意味はなくとも、気配は宿る。何を見て、感じるのか、その告白だけがひとを形づくる。たましいに触れているような気分になる。寂しくないような気分になる。熱も、匂いも、湿り気もない、精錬された精神こそが本物の人間であるように錯覚してくる。
 私たちの思い出を、そういう価値観に貶めて、扱いやすくしてしまいたい。と、大人になった私は思う。もう二度と再現不可能な関係が、いつまでも重い。熾火のように熱い。じりじり、じりじり。喉を焼く、甘さに、耐えかねて、しまう。
 寂しいに耐えかねてしまう。

 私は約束を破る。
 破るだろう、と思う。破らねば、私はこの苦しさを永劫に飼い続けることになる。それは嫌だ。耐え難い。
 けれどスマートフォンを握りしめた手は無意味なタップを繰り返す。だってやっぱり怖いから。私の、特別、を失うのが。私が約束を守り続ける限り、私にとってあの子は特別。たとえ向こうがとうにそんなものを手放していたとしても。
 いっそ本人に聞いてやろうか。SNSのアカウント。つながってもいいかって。なんでもないふりをして。どうして今日までつながっていなかったか、忘れてしまったようなふりをして。どんな顔をするのか見たい。彼女が私を、もう手放してしまったのか知りたい。知りたい。知りたい。

 あの子から葉書が届いた。招待状だ。結婚式の。スマートフォンを握りしめて、視線は招待状の上にある。そうして悩む。ぐるぐると、もうしばらく悩んでいる。どうしようか。どうしたものか。
 まあとりあえずさ、おめでとう。

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