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私が海外留学に憧れを抱いたきっかけ①

 Moi! (フィンランド語で、こんにちは)

 フィンランド留学中の経験を語る前に、今回は、なぜ私が海外留学をしたいと思ったか、中学高校での経験をもとに綴りたいと思います。「グローバル!!」みたいな雰囲気では全くなくて、当時中高生だった自分がどのように思考し行動し、生きたか、そんな内容になっていますのでご容赦下さい。

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 留学への憧れは、恐らく中学2年生頃から抱き始めたと記憶している。


 その憧れを抱かせた一番のきっかけは、従姉妹の影響だった。私には、父方に10歳上の従姉妹がいる。彼女は今、ドイツ人と結婚をし、ドイツに住んでいる。彼女は、高校の頃に1年、大学の頃に1年ドイツに留学をし、大学卒業と共に現在の旦那さんと結婚をし、渡独した。

 当時、姉が結婚を機にドイツへ渡った時、私は12,13歳であった。その時、22歳の姉はうんと大人に見えたし、海外という存在も、とても遠くのもののように感じた。彼女のことについて聞いた時、漠然と憧れを感じたものの、自分にとって海外は遠くに感じすぎて、私には夢の話だと思っていた。うちの家系がグローバルな世界に縁があるわけでは全く無く、彼女は唯一のそういった存在だった。私は英会話教室に通った事もなかったし、中学に入るまでアルファベットすら書けなかった。


 そして、当時中学生だった私は、海外云々言うよりは、「いかに今の環境を抜け出すか」に必死だった。

 私の通っていた公立中学は、市内の中でも素行の悪い生徒が多いことで有名だった。中学3年間で授業が静かに行われてた記憶はほとんどない。ガラスは割れるわ、警察は来る、先生の白いシャツが血で滲んでいたこともあった。極め付けは、授業中に抜け出した生徒が流しの栓にスポンジを詰め、水を全開に出し、学校中を水浸しにした。授業は中断され、全校生徒総出で掃除をした。私の親はあまり教育に熱心ではなく、いくら中学の環境の悲惨さを訴えても、「あらそうなの〜大変ね。」くらいにしか反応されなかった。しかしそんな母も、授業参観の日に、私のクラスの騒がしさと授業の進まなさを実際に目の当たりにしたことで、流石に驚いたそうだ。

 こんな環境の中で、海外を考える余裕など無く、それよりも「偏差値の高い高校へ行き、まともな環境で充実した学生生活を送りたい。」それが私の切実でリアルな願いだった。  

 とはいえ、そのような環境で中学時代を送ったからこそ、世の中には色んな人がいて、それぞれの事情もあるということを知った。それだけではなく、素行の悪い彼らも、何か他に夢中になれることが見つかっていたら、違かったんじゃないかなと考えたりしていた。それは今でも、家族、地域、貧困問題、そういった問題に今でも敏感にアンテナを貼っている理由なのだと思う。また、その環境の中で出会い、共に生き抜いた(?)気の合う友人たちは、今でも大切な親友である。


 そして私は2013年の春に晴れて県内の県立高校へ合格し、進学した。その高校は、文武両道を謳った、所謂自称進学校だ。まず、初回の授業は驚きの連続だった。「全員がしっかり机に座り、前を向き、静かに授業を受けているではないか!!」これが理想の学校生活と思い描いていたものの、これまで授業は騒がしいのがデフォルトだったせいか、何故かその時はむしろ、静かに授業を聞く友人に囲まれて落ち着きのなさを感じたのを覚えている。


 高校で出会った友人は皆、穏やかで尊敬できる人たちばかりだった。勉強と部活に打ち込むだけでなく、人柄も泣けるほど良い人がいた。元々持っているものの違いすら感じさせられた。そんな彼らと出会った時、自分の圧倒的な要領の悪さと、不器用さに気付かされた。また、それぞれ将来やりたいことや、なりたい物を描けている友人が、何もやりたい事もなりたい物もハッキリとしていなかった自分にとってはとても輝いて見えた。


 看護師や教師目指して、そのために大学受験をする。そういった、具体的になりたい物がいつまで経っても見つからなかった自分は、「大学へ行く意味はあるのだろうか?お金の無駄になってしまうのではないか」とも、何度か考えた。なぜなら、両親も一つ上の兄も大学へ行っていなかったからだ。実際に、父に大学へ行きたいと言った時、「専門学校じゃだめなのか」と言われた。父は、大学がどんな物なのか、そしてなぜ行く必要があるのか、よく分かっていないようだった。でも自分は、専門学校と言っても何か取りたい具体的な資格があったわけではなかったので、専門学校という選択肢は浮かばなかった。また、高校の先生は「国公立大学へ行きなさい(自称進学校あるある)」「大学へ行けば、就職の時に役に立つ」、そう言っていた。周りの友人も98%は大学進学を志望していたから、「じゃぁ自分も大学いくか」という思考は3年間をかけて自然と形成されていった。

 そこで生じた問題は、「どの大学へ行くか?」そして「何の学部に行くか」だった。大学2年に上がる前に行う、文理選択は何となく文系にした。私は壊滅的に数学と物理ができなかったからだ。反対に、国語や歴史英語はとても好きだったため、なら文系を選んだ方が偏差値の高い大学へ行けるかもしれない。そんな理由で文系にした。ただ、行きたい大学も勉強したい事も分からなかった。そんな中でも、ドイツに住む従姉妹の姉への憧れはずっと持っていて、「国際系って何か良いなぁ、かっこいいな〜」そんな風に思い続けていた。

 そんな自分が留学に憧れる2度目のターニングポイントになったのは、高校2年の修学旅行だったと思う。私の通っていた高校ではこれまで数十年間、修学旅行先はずっと沖縄だった。しかし、私たちの年だけ突然行き先がマレーシアになった。入学当初に行われた修学旅行先の希望アンケートで沖縄が1位だったにも関わらず、先生のゴリ押しでマレーシアになった。私は沖縄に行ったことがなかったし、(海外といってもマレーシアかぁ...)という気持ちがあったので、自分も沖縄に投票したことを覚えている。

 私たちのマレーシア修学旅行の半年ほど前に、マレーシア航空の飛行機が行方不明になった事件があった。今もその行方は分かっていないらしい。そんな事件があったにも関わらず、修学旅行は決行された。沖縄に行きたかったのと、事件のことで、私のテンションはあまり上がらなかった。

 修学旅行は台風により行きのフライトが12時間遅れと散々な幕開けであったが、この修学旅行中の経験が私を変えた。


(今日はこの辺で、②に続きます)


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(マレーシアで歩いた森の写真)