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伐採された木の枝たちとも、そろそろお別れ

勤め先の学生から話を聞かせてもらうと、子どもの頃に、大切にしていた植物、樹木との辛い別れがあった、という体験談を教えてくれることがあります。

または、大切に思っている樹木があって、その木には、ずっと長生きしてほしい、というものもあります。

樹木にまつわる思い出って、何かおありでしょうか?


隣家の生垣の木々は、傷んでいたけれど、私にとっては、とても大切な存在でした。

目隠し効果、季節感、どんなに過酷な状況でも、あきらめずに自分にできることをやり続けるひたむきな姿など、長年の間、いろんなものを与えてもらってきました。

それらの木が近日中に切られそう、となったとき、手の届く範囲の枝を数本切らせてもらいました。

シラカシ、ヤマモモ、モチノキの枝を1本ずつ。

1月20日のことです。

そして、翌日、仕事に行き、戻ってみたら、お隣の敷地は、更地に。

何本もあった木々は、跡形もなくなっていました。

昨日のうちに枝をもらっておいて、本当によかった。


それ以降、ときどきお水を変えながら、机の上に置いて、ずっと毎日、この3種の枝と、目を合わせ続けて過ごしてきました。

失ったものは大きいけど、まだ、その一部は生き続けて、自分のそばにいてくれる。

そう思うと、枝が、ずいぶん喪失感を慰めてくれました。

種類によって持ちが違いましたが、それから3か月あまり経って、最近までがんばって緑を保っていたヤマモモの葉が、ついに、茶色くなって、ハラハラ落ち始めました。

葉の小さいモチノキはまだ粘っていますが、これも少ーしずつ、落葉し始めています。

何百年、時に千年以上も生きることのできる生命力の強い樹木ですが、人間の前ではこのように、はかない存在になる…

それだけに、木の生命力、潜在的な力をもっと理解し、その理解を大切にする行動につなげていきたいです。

そんな願いをもちつつ、残り僅かとなった、お隣の切られてしまった木の枝との時間を過ごしています。


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