人工的なものに向かう流れのなかで、子どもたちは?
最近 、 YouTube を流しっぱなしで聞きつづけていました。
それで、ものすごく気になったのは、宣伝のAIのアナウンス…
最近増えた、AIとすぐにわかるアナウンス。
これを聞いたとき、どのように感じられるでしょうか?
私は、人工的、不自然な抑揚に、とても居心地が悪くなります。
方言なんかだと、違っているのが味わいに感じられ、
このような落ちつかない感じにはならないのだけど…
最近は、かなり小さい人も含めて、子どもたちも、
YouTube をよく見ています。
今日も、小さい子どもを育てているお父さんが、こう言っていました。
「ご飯支度をしている間、ずっと YouTube を見てる。
おとなしくしてくれてるのは、ありがたいけど、まだゲームの方が
ましな気がする。少しくらいは頭を使うから。
けれど、YouTube はおもしろくないときは、次々、とやるだけだから」
ドキリ、これは大人にも、あてはまるのかも…
それはさておき。小さい頃から、人との会話が少なめな環境で、
AIの人工的な抑揚の話し言葉を多量にずっと耳にしていたら?
子どものまねる力、学習能力の高さを思うと、
ちょっと怖くなる…
子どもは自ら育つ力をもつ存在ですが、
それだけに環境の影響も強く受けてしまう。
森の中で過ごす時間は、子どもにとってギフトになるはずです。
そして、街の中に戻ってきたときは?
子どもばかりでなく、大人も同じだと思いますが、
ふだんの生活では、油断すると、人工的、不自然なものに取り囲まれてしまいます。
そんな流れのなかにあって、いかにして、自分が心地よいと感じられる
もの・ことを選び直していくのか?
今のそのささやかと思われる選択が、たぶん、未来に大きく影響していく。そんな予感がします。
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