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江戸めし これはススメられない? 江戸時代の食い倒れとは?

普段、自分の体質にとって、あるいは、一般的に、体にはあまりよくないけど、食べたり飲んだりするとおいしい!というものと、どのように付き合っておられますか?

あとで後悔するのはわかっているけど、ついつい… なんてものがあったりしますよね?

ここまで、江戸時代の食事は今から見ると、質素のようで、けっこう理に適っていて優れていた、というような話を書いてきました。

ですが、あれだけの江戸文化を花咲かせただけあって、飲食だって健康的ばかりでなく、大酒や大食いを競う会も催されていたようです。

さすがだなあ、と思うのは、だれそれが一番だった、というような記録まで残っていることです。

詳細は省きますが、1815年にある豪商の家で行われた「大酒飲みコンクール」では、当時の学者、画家なども検分役で参加したそうですが、62歳の男性は3升5合あまりを飲んだ、とのこと。

他にも、お菓子、めし、ウナギ、そばの部などもあって、お菓子の部では、56歳の男性(名前もちゃんと記録あり)が平らげたのは、なんと、まんじゅう50個、羊羹7さお、薄皮もち30個、お茶を19杯だそうです…

めしの部では、浅草の72歳の老人が、茶漬け茶碗で54杯のめしと58本の唐辛子を食べたなどというのも…

話が大いに横道にそれましたが、今回の本題は、命がけの食い倒れ。

で、何を命がけで食べていたかというと、「ふぐ」。

ふぐ食の習慣は、古来からあって、千葉県や山口県では、縄文時代の遺跡からふぐの骨が出土しているそう。

江戸時代も、ふぐの危険性に対しては危機感をもたれていて、各藩が取り締まりを行っていたよう。特に武士は、ふぐによる中毒死が漏れようものなら、遺族に厳しい仕打ちがなされたとも。

それでも、命がけでも食べたいもので、裕福な人は干したものを食していたが、町人のなかには、自分でさばいて食べるツワモノもおり、江戸の町内だけでふぐ中毒を起こす人は少なからずいた、ということです。

このように、健康や長寿に関係の深い飲食。それがわかっていても、人間は、楽しむのも大好きな存在です。

健康的、ばかりではつまらなくなるのは、時代を超えた人間の性質として受け入れるとして、自分にとって、楽しみでもあり健やかでもある食生活はどのあたり? 

できれば、懐にも優しく、ベストなバランス地点を探ることも楽しみに加えられたら?🤔

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