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飲酒運転

大衆居酒屋の頭上に灯るオレンジの光がとても好きだ。ふわふわ揺れて見えている時が特に幸せを感じる。
ふと思ったことだが、いつも大事な時はお酒を飲んでやり過ごしてきた。半年続けた大好きなメンバーがいるバイト先を辞める時、大好きな彼女と別れる時、大学を留年する寸前に成績を見る時。
いつも酔っていた気がした。
それほどシラフの自分を愛せていないと感じてしまった。
こういう時は自己嫌悪が増して自分の事が世界で一番嫌いになる。
数年前までは酩酊しないと自我を出せず、大切な決断を酔っ払った自分に丸投げしていた。
それほど人の目を気にしていた気がする。今もそんなに変わらない。
ふわふわとしながら何か自分の中で決断していることがあって、それがどこか受け入れられない自分がいる。
ひたすらに1本220円の安酒を飲みながら無駄なことを考えて、その後に決断をする。
周りの目を気にして、○○したらここに迷惑がかかってしまって、この関係にこういう影響が出る、そんなことはわかっている。
そんなことを考えても結局自分の為に生きているので、というわけのわからない言い訳を残して自分の直感で択を取ってきた。
ぼやけた視界の中でああでもないこうでもないと考えながら最後はトイレに駆け足で向かう。

その数年前に戻りつつある。
21歳、そんな決断を酒飲みながらしていいわけもなく、そろそろ大人にならないといけない時期だ。
今日も幸せになりたいと思いながらひたすらにコップに注ぐ。
バイトを頑張って思ったより給料が入った時、講義をサボってクリスマスに神戸の街を2人で歩いていた時間、もちろん1人で千鳥足になるまで飲んで、その後カップラーメンを啜っている時間も十二分に幸せだ。
飲むと幸せだった時間を思い出してしまう。
これ以上の幸せはどこから現れるのだろうか、そんなことをひたすらに最近は考えてしまう。
毎日同じようなことの繰り返し、ヨタヨタと歩いて布団に行き着いたと思えば次の日にはまた昨日と同じ生活。
これ以上どこに、なんのために、生きろというのか。
もちろん会社で昇進した、自分の携わっていた事業で結果が出た、大学でいい成績だった、それも幸せのカテゴリーに入るのだろうが、日常の小さな幸せを見つけることができる人が上手く生きられている証拠なのだと思う。
酔った自分に丸投げして正解だったことは基本的にない。
キーボードの文字が見えないくらいに酔っ払いながら誤字脱字がないように一生懸命送った別れ話のLINEは、しばらくすれば後悔の念がふつふつと込み上げていた。
ただ、ひとつだけ後悔していない事がある。
それは今、酔っ払ってした決断を笑って他人に話せるようになったこと。


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