20221210

日記書くの、だいたい1カ月ぶりかあ。日記の概念ってなんだろうね。まあいいか、怒る人いないし。

生活に変化がないのよね。仕事が繁忙期に入っていてまあまあ忙しくて、終わったらジムに行って殴ったり蹴ったりしている。あと、ドラグ=ナイツの二次創作を気が向いたらひっそりやっている。表に出せる日はいつかやってくるんだろうか。

あ、変わったことと言えば、タバコは再開している(事後報告)。なんなら本数が増えているまである。これは普通にマジでめっちゃ良くないな、って思う。

こないだ学生時代の友人の結婚式に行った。10年ぶりに会う人たちがたくさんいたのだけど、周囲の反応を見た感じ、どうも僕は「今何やってるのか全然分からない人」になっていたらしい。

もともと連絡とか全くしないタイプなうえに、スマホ機種変のときにLINEアカウントが消えてLINEグループから消えちゃったし、まあ、あとはアレだ、僕の仕事が原因なんだろう。

「卒業したあと、ライターの仕事を始めたらしい」くらいのことはみんな知っていたみたいなのだけど、それってほぼ「フラフラしてるらしい」ってことだもんね。周りにそういう人が多いから感覚がすっかりマヒしていた。

あと、ラジオ企画の準備が片付いた。久々に思い出したのだけど、カウンセリングの歴史を考えると「どうやら“メンタルぶっ壊した人の話を聞いてあげる”というのは、そんなに当たり前のことではないらしい」という、まあまあ意外な話が出てくる。昔の人たちは血を抜いたり、冷や水をぶっかけたり、もっと怖いのだと脳みそこねこねコンパイル(隠喩)していたりする。

でも、心理療法の大前提になる「自分でもどうにもならない自分の頭の中の問題が、他人の頭を借りたら、自分の頭で解決できるようになるかもしれない」みたいな発想って、たぶん相当ぶっ飛んでるんだろうな、とも思うのよね。

経験的には理解できる話とはいえ、よく考えたらヘンじゃない? だって「自分でもどうにもならない自分の頭の中の問題が、他人の頭を借りたら、自分の頭で解決できるようになるかもしれない」って言ってるんだよ(2回目)。

「冷や水ぶっかけたら大人しくなる」とか「眼球の脇からアイスピック突っ込んで脳みそこねこねコンパイルしたら人格が変わる」とかのほうが分かりやすくない? 分かりやすいだけで解決になっているのかどうかが分からない、っていう致命的な欠点があるんだけどさ。だから、やらなくなったんだと思うけどさ。

今ってそこそこ良い時代なんだな、って思ったところで、今日は寝ます。

おやすみなさい。

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