20221220

先週ごろから急に真冬のような気候になって、体調を悪くしていた。何年前だったかな、夏場にはんてんをそのへんに放置していたらカビだらけになっていて。それで捨ててから、大した防寒着を持っていなかったんだよね。

今年の寒さはヤバいと思って、さすがに買い直した。あったかい。

そんなこんなで具合を悪くしていたせいか、久々に高校に通う悪夢を見た。18歳のころからたまに見るやつだ。

夢なので設定は統一されていないけど、今の自分の状態が反映されていて妙にリアルなのが特徴。大学生のころは大学と全日制高校のダブルスクールをしようとしていたり、社会人になってからは仕事と学業(やっぱり全日制)の両立をしようとしていたりした。

今回は久々に学校に行く設定(30歳過ぎまで不登校やってたみたいね)で、古文の授業で使う電子辞書が見つからなくて(なんせ10年以上高校行ってない設定だからね)、母親に「電子辞書出てこなかったら買い直してくれる?」と聞いたら、母親がものすごくイヤな顔をしていて「だよね、たしか当時2万円くらいして、家族で高いんだねーって話してたもんね」みたいに思う……という内容だった。

心理学的な正しい見解は分からないのだけど、個人的にはいわゆるトラウマみたいなやつなんじゃなかろうか、と思っている。僕は高校を出ていないのだけどそのショックが意外と大きくて、こんな夢を見続けているんじゃないかなー、と。

いつもはそこまで考えたら終わりなんだけど、今日はふと「戦争で貧しさを経験した場面とかを繰り返して見ている人はツラいだろうなあ」と思った。もしかするとうちの祖父がそういう人だったかもしれない。大人になってからは普通に生活できていたはずなのに、ずーっと子どものころの貧乏話をし続けていたから。

僕は悪夢を見てイヤな気持ちになっても「高校をやめたのは自分のせいだし、もう済んだこと」と思って終わりにできる。今でも高校というものには「自分は近付いちゃいけない場所」みたいな感覚はあるけど、そもそも近付く理由がないから関係ない。ランジェリーショップみたいなものだ。

だけど、戦争みたいなスケールのデカい事柄が関わってくると「自分のせい」「もう済んだ」で片付けるのが難しくなるだろう。(正しい見解は知らないけど)心理的な現象としては似たようなものでも「内容的に社会的な位置付けの違いがあると、心理的な負担感が変わる」みたいなのはあるんだろうなー、と。

なんていうかまあ、波風立っても高校に行けなくなる程度の平凡な人生で良かったんだろうな、子どものころピンと来なかった「平凡であることのありがたさ」ってこういうことなんだろうな、と思った。

悩まないことなんて不可能だし、自分が何で悩むかなんて選べない。こればかりは運ゲーとしか言いようがない。で、“苦労ガチャ”を引いたところ、自分の悩みは「生きてたらそういうこともあるよ」「皆がそうとは言わないけど、お前みたいなやつは日本中にいくらでもいるんだよ」「いつまで引きずってるんだよ」程度で収まってくれている。

「運ゲーで勝ったか負けたかは知らないけど、自分が引いたカードでもこのゲームはまあまあプレイできるっぽいからこのままでもいいや。いやー、でも”このままでもいいや”ってどうしても思えないようなカードを引いてたらどうやって“このままにしかならない現実”とどうやって折り合いをつけていたんだろう。想像もつかないや。というか、想像するのがイヤなんだ」的な気持ちをもしも一言で説明するとしたら「平凡ってありがたい」なんだろうね、みたいな。

明日は代休だぜ!

おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?