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プロフィール

はじめまして、きしです。

現在は美容室経営者&美容師プレイヤーとして働きつつ、きしろぐというブログサイトを媒体に情報発信をしています。

●名前         岸 和希(きし かずき)
●職業         美容師・ブロガー
●年齢          30代
●出身地      和歌山

■簡単な経歴

・和歌山県和歌山市出身、和歌山市育ち
・美容歴14年(2004年〜)  

美容師をしながらでも、WEBを通じて、近くの方も手の届かない方の美髪つくりのサポートをするために日々ブログを書いています。

世の中の髪の悩みを持っている女性のサポートになるような情報を提供できればいいなという事が、このブログを始めるキッカケでした。

今は、美容師とブログで生計を立て、目標だった独立をすること達成しました。

ぼくは自分のブログに、自分自身の記録を残すことで、読んでくれた人に「役に立つ情報」だと感じてもらうために書いています。

そして、色んな人に

美容師という仕事の素晴らしさ

を伝えたい。

そして、ブログを通じて色んな人の

髪をキレイにする情報

を伝えたい。

という感じがぼくがこのブログを書く目的です。

これまでの歩み

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これから、ぼくがどういう人生を歩んできたかを書いていきます。少し長いのですが、良ければ読んで下さいね。

和歌山生まれ和歌山育ち。

「和歌山県出身です」と言えば「え?岡山県?」と聞き直されるのが、定番の和歌山県です。

ぼくの学歴は中卒、平凡でなんてない普通の小中生活を過ごし、何か語れるようなものもなく卒業し、中学卒業後は就職となります。

学業にはあまり励んでいなかったため、通信の専門学校で美容師として働きながら美容免許を取得しました。

10代後半

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卒業後はすぐに就職をしたので10代後半からは仕事をしていました。

和歌山の端にある美容室に就職。ぼくの美容室の就職希望は、とても不純な動機でシンプルな理由でした。16歳で就職したのですが、まだまだガキだった当時は、

遅刻や欠勤は当たり前の最低の少年だった

当時の店長達はほんとにできた人ばかりでした。そんなぼくをいつも可愛がってくれました。

そんなぼくが前の美容室の社長や、店長に唯一褒めてもらったことが

極度の負けず嫌いなこと

誰にしもにある負けず嫌い。しかし、あらゆるところが平凡だったぼくは、そこに全エネルギーを集中することができたのです。

15歳の時、ぼくはタオルの洗濯すらできなかった

ぼくは元々、能力が全くないといってもいいレベルの人間でした。学歴は中卒、中学時代の部活はやりとげずに途中で逃げ、父子家庭であり裕福でもない、とにかく中途半端な少年でした。

15歳で入社してから半年ほどはとても苦労しました。なにをやってもうまくいかずに、バカにされる毎日。年齢も15歳と若いことから、「本当にこんな若い子にカットさせて大丈夫なの?」「こんな若い子にきられるのはイヤだ」と年齢や見た目で判断されることはザラです。

加えて後輩はみんな年上、なにか失敗すればここぞとばかりにバカにされる始末。上司からも、「お前はタオルすらまともに洗濯できないのか?」といびられ、とことんつらい日々でした。「タオルの洗濯」というのは最も簡単で、入社したばかりであっても問題なくこなせる仕事です。しかし、当時のぼくはそんなことさえできませんでした。

ぼくはやる気だけはありました。むしろやる気は誰よりもありました。上司にはたくさん質問などして自己PRをガンガンしていたし、サロンワーク終了後には夜遅くまで技術レッスンをしていました。自分のことを否定されることを極端に怖がるという性質を抱えていたからこそ、なんとか見返してやろうと頑張っていました。

しかし、やる気だけではなかなかうまくいかなかったというのが正直なところです。

あるキッカケでスイッチが入った

当時の組織の社長には、月に一度のミーティングで会っていました。

この社長が、ぼくにとっては父親的存在でした。面接にスーツでなく私服でいくという、礼節をなにも知らないぼくを受け入れてくれたのです。今考えると感謝しかありません。時に優しく、時に厳しく可愛がってくれる人でした。ぼくは社長に会える月に一度のミーティングが大好きでした。

あるミーティングのとき、社長に言っていただいた一言がぼくの胸にとても大きなインパクトを与えました。

「この中で誰よりも君が1番ポテンシャルがあるんだよ」

ぼくにとってはとても大きな衝撃でした。ぼくは、若いことをバカにされ、能力がないことをバカにされ続けてきたのに、それを「ポテンシャルがある」と言い換えてくれたのです。

ミーティングが終わった後、「こんなに認めてくれる人がいるのに、自分は何をやっているんだ」ととにかく自分自身に腹が立ちました。ぼくのスイッチが入った瞬間でした。

ミーティングの帰りに美容室に戻り、ハサミを握りウィッグ(マネキン)の髪をひたすら切って切って、切りまくりました。その日を境に、自分の全てを美容師という仕事に注ぎこもうと決意し、まずは手始めに「365日1日も欠かさずに技術トレーニングをする」という目標をたて、実行したのです。

そこから1年は大きな躍進をすることができました。当時の組織では平均4年はかかる「スタイリスト」に約1年でなることができ、19歳という若さで店長という役職を任せてもらえるほどになりました。

ぼくができた唯一のことは「吸収すること」だった

もともとの能力がなく、タオルすらまともに洗濯できなかったぼくが持っていた唯一の才能は「吸収すること」だけでした。もちろん、吸収の仕方は何度も何度も試行錯誤しました。

能力のないぼくは、知識を見たり聞いたりするだけではインプットすることはできなかいことに気づきました。シンプルですが、「知識+行動=インプット」と定義し、とにかく人の何倍も学び、行動し続けました。

●量はトップアシスタントの先輩の少し上
●努力した量だけは認めさせる

人が1教えてもらってできることでも、ぼくは5教えてもらわないとできっませんでした。単純に人の何倍も努力しました。努力は否定されることはありません、とにかく人よりも努力をし、かつ楽しむようにしました。

中卒ノースキルで就職したぼくの、たったひとつの才能について語る。(寄稿エントリー)

そこからは遅刻、欠勤がなくなり、レッスンも真面目にするようになりました。

そこからはとんとん拍子に技術を習得。

あっというまにスタイリストデビュー。

しかも当時のデビュースピードは歴代トップ。

少年期ラストの20歳前には、なんと店長に就任することにもなりました。

ぼくの当時の憧れは店長だった

恩師だった社長と店長に憧れをもっていたので、店長就任というのは目標というか、限りなく夢に近いものになっていました。

なにもない平凡なぼくが初めて一生懸命になったのが美容師でした、就職する動機すら不純だったぼくの夢はいつしか「美容室の店長」になっっていたのです。

そして、たくさんの人に支えてもらい頑張れた結果、夢だった店長に就任することができたんです。

20代前半前半

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しかし、夢だった店長になれたのも束の間、売上の停滞と経営戦略もありサロン自体を閉店して規模縮小することになりました。

そして、ちがう店舗のスタイリストとして移動することになりました。

転落期

店長からスタイリストに降格とはいえ、落ち込むことなくさまざまな仕事にチャレンジしていきました。

取り柄のなかったぼくが仕事を任せてもらうことに喜びを感じていたからです。

そんな前向きで、肯定的な考えはたくさんの評価をもらえることが多かったです。

そして、何事も上手くいっていたぼくは、周りの環境のおかげを自分の力だと過信し、傲慢になり自尊心のかたまりになってしまったのです。

たくさんの恵まれていた環境を忘れ、おごり、さらには周りに見透かされてどんどん転落していきます。

同時期にヘルニアが発症し、重ねてさらに悪い方向に向かいます。

スタッフやお客様とも上手くいかなくなり、身体も精神もボロボロになりながら仕事の毎日、

そんな時にある事件がおきます。

お客様からの大クレーム

それが原因となり、約7年ほど在籍していた美容室を退職することになりました。

自業自得とはいえ、退社した時ほど泣いたことはありませんでした。

「人は無くなってから気づく」なんてよく言ったものです。

ほんとにバカだったんだなとあれほど後悔したことはありませんでした。

たくさんお世話になった人に、迷惑をかけてしまった…

そんなことを死ぬほど後悔しました。

一度は美容師をやめようと

そのぐらいのダメージがありました。

心身ともに回復の見込みはないくらいの痛手を追ったのです。

もちろん、何度も辞めようと思いました…

初めて一生懸命したことが嫌いになれなかったんです
よくよく考えさせらる時期でした。なぜ「自分はできたんだろう」と。色々と考えてたら、

美容師が好きになっていたんです。

まぁ、いまさらって感じですが…。

もともと、美容師になりたかったわけでもないし、生業にするために必死になっていただけなんです。

給料のために頑張っていたつもりだったし、仕方なくしていたつもりだったんです。

でも、気づいたらぼくには美容師しかないんだなぁ…と

20代後半

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あれこれ考えた結果、美容師に復職し色んな美容室を探しました。

美容室はどういうところで働くべきなのか?自分の中で考えてもいなかったことに直面します。

何も考えず就職した15歳の時にはなかった、未来を考える思考はさまざまなさまざまな選択肢を削りました。

●福利厚生
●どんな上司や先輩がいてるか
●自分の成長要素
●美容室の経営状態

など考える幅が増えた分、逆に美容室を選ぶ基準が狭まっていきました。

大衆美容室に就職。

大衆っていうのは、担当など決まっておらず、とにかく回転率を重視した美容室。

なにも考えずに美容師ができると思い、3年ほど勤務をしました。

社畜美容師です。

結局、自分は美容師から逃げたくはなかったけど、美容師と向き合えるほどメンタルが回復しているわけでもなければ、強くもなかったんですよね。

そして、回転率を重視する美容室大っていうぐらいだから、普通の3倍の人の髪は切りましたね、おそらく。

ひたすら切って、切りまくって、切りまくって、

……

…・

でも、胸の奥のぽっかり空いた穴が埋まらなかったんですよね。

「やりがい」というものが感じられない毎日だったんです。

使命というものがなく、ただただ切るだけの毎日に作業化された美容師に、やりがいを無くしてしまっていました。

そして、考えつく限りのチャレンジをした後に、環境を変えてみることにしました。

と、ここでさすがに長過ぎるので簡単にまとめました。

昔にお世話になった美容室に就職する

きしろぐ」を作成

●店長&営業部長を兼任する
●美容師歴15年、FC契約として独立(1年後契約終了)
●現在に至る

きしろぐは、現在5つのブログで形成されており、500記事以上のブログがあるので悩みを改善するサポートになるはずです。

きしろぐは5つのブログで構成されています

ぜひ、いろんな記事を読んでくださいね。

ちなみに、自身で運営している美容室のホームページもあるので、よければ寄っていってください。


美容室・美容院「hair make lonlo(ロンロ)」

HPはこちら

ブログは、書く事が好きなので更新しています。

もっともっと、たくさんの人に見てもらえるように進化させたい。

もっと作りたい記事っていうのも頭の中に構成で浮かんでいます。

髪に関してのカタログやブログが増えてきましたが、もっと役に立つコンテンツを充実させていきたいと考えています。

最後まで読んでくださいありがとうございます、色々見てください‼︎よろしくお願いします‼︎

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