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公立病院改革3-66【後継法人の決定】〈2006年〉東北170床 公立F病院

各委員たちの審査結果表の記入内容を受けて、僕は高らかに宣した。

「医療法人○○会と、医療法人◆◆会のいずれを選定するかご審議いただいた結果、委員総意で○○会を選定したいと表決されました」

これを受けて、事実上の委員長である現院長が
「以上の審査結果を受けて、公立F病院の後継団体には、○○会が選定されました」

と、淡々と述べて、後継法人がここに決定したのである。

僕は決定者ではないが、とにかく1年2ヶ月の間、奔走した。

病院を立て直すという、できもしないミッションを掲げて病院にコンサルとして入り。
あまりの無知、経験なさがばれてボコボコにされてしまった日々。

しかし数人のプロメンバーコンサル等の助力を得て、好奇心や誇りが芽生え始めた日々。

そろそろ病院の体制が整うという時期に夕張危機が発生し、そのあおりで資金ショートに陥った。
資金ショートが病院どころか、イコール自治体倒産に繋がると知って体中の力が抜けた。

資金ショート後、市長説明、議会説明、役所幹部との協働など。。。
次々現れる、これまでの人生で触れることが無かった人々。

そして全集中で臨んだ第一回公募で、後継法人が選定されて喜び安堵した。
その10日後に、当該後継法人から「辞退」連絡があり、一からやり直しとなり顔面蒼白。

その危機状況にあって、初めてボスが動き、有力な後継候補の団体の推薦があった。
他にも、非常に有力な団体が応募してくださった。

そこから、第二次公募実施までの下地作りに奔走した日々と、最後の決定。

ようやく、心の底から喜び安堵することができた。

そして、全関係者が本当に胸をなでおろして、その瞬間を喜び称え合った。
これをもって、受託者として請け負っていた、選定会議の運営業務も終結することになる。

仕事というのはすごい力がある、と実感させられた業務だった。


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