公立病院改革3-50【束の間の安堵】〈2006年〉東北170床 公立F病院

2月8日に移譲先を決定したが、正確に言うと「第一移譲候補者」「第二移譲候補者」が決まったということだ。
しかし僕としては、そんな細かい言葉の用法はどうでもよく、とにかく移譲先が決まって、業務が終了したことがすべてである。

その後、雇用の引継ぎや建物使用の条件、医療体制に関する約束事など、細かい移譲の条件が話し合われることになるが。
今回は当事務所のメインミッションは移譲先決定に導く部分であって、協定等については自治体と後継法人に任すことになっていた。

全国の会計事務所はその後、3月15日を期日として最繁忙期を迎えることになる。
僕は当時、民間の持ち案件は少なかったが、それでもいくつかの確定申告があったので、パタパタ忙しく動いていた。

F病院の経営移譲までの顛末は、どことなくあっけない感じがしていた。
資金ショートだ、債務負担割合だ、果ては自治体倒産だと騒いでも、募集したらやってくれる医療機関が現れるのだ。

僕は初めてのプロポーザル協議主催サイドでの業務で、後継法人がしっかり決まったものだから、「こんなものか」という感じがしていた。

と、言ったって、決着がつくまで心臓バクバクで動いていたのだ。
僕が何かミスって、自治体が潰れたらどうしよう・・・と超絶緊張の一時期を過ごしていたのだ。

だから事案が終結して、心の底から安堵感に浸っていた。


と、そんな2月半ばに事件が起こる。

選定された後継団体が「事業の後継を『辞退』する」と連絡が入ったのだ。

後継医療機関が3月末までに見つからない場合、2つの自治体が破綻するという状況下で。

2ヶ月かけて準備した公募プロポーザルでようやく決定した団体が、決定から一週間後の2月半ばに『辞退』することとなったのである。

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