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【公立病院改革 番外編2-4 奥羽旅情 人生、悲喜こもごも】

一人、男性のほうは近所で、親の商売を継いで理髪店を営んでいるとのこと。
昔、理髪修業のために東京で暮らしたことがあり、原宿辺りで働いていたらしい。

上京当時は、東京で独り立ちしてやろうという野心があった。
しかし、それはなかなか難しいということで、地元で親の事業を継承したという。

その帰郷に係る悲喜こもごもを、色々お話されていたが。
本人的には何となく不完全燃焼で、捨て切れない思いが強くにじみ出ていた。

当時、僕は未来にあてのない税理士受験生で、別に継ぐ事業があるわけでもなく彷徨っていた。
だから、「それはそれで良い人生じゃないか」と思いながら聞いていた。

もう一人、70歳の女性はずっと、ママと話していたが。
片方の腕とカラダのあちこちが、先天性の小児麻痺か何かで不自由なようだ。

ママに、そのカラダの不自由さゆえに出会ってきた不遇について、思いの丈を語っていた。
いまもあちこちで虐げられていると、涙をにじませながら、言葉を紡ぐ。

昔からロクな仕事をさせてもらえず、仕事をすれば理不尽にこき使われて。
いまと違いハンディがある人へのケアなどない時代、泣きながら、心を擦り減らしながら、生きてきた人生を縷々語る。

横で聞いているだけで、ただツラい。
僕自身が日頃感じるツラさなど、甘くて軽い。

きっと、この日だけでなく、いつもママにこの悲哀を語っているのだろう。
そしてママも、聞いてあげているのだろう。

ときどき、ママが男性のほうを向いて、少し説教する。

「あんたは、・・・で、・・・で、好きでこっちに帰ってきたんじゃないの!」
みたいな感じで、合間合間にママのシャウトが入る。

この状況には、それなりに味わい深いものがあった。
しかし、お店全体がだんだん「いつものリズム」になって来た。

悲哀とやるせなさに包み込まれてきたので、私はそろそろ潮時かな、と思った。

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