父親の一周忌と病院からの電話
這うように長く感じる時間の中で、じわじわと痩せ細り、手足の屈曲はひどくなっていく。
点滴はもう何度も刺し直されて、どこもかしこも痛々しい。
あまりにも可哀想で、この病気が昔、怖がられた理由も分かる気がする。
こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけど、病院に通う度生気を吸い取られるような感じがしていた。
最大HPが下がってしまう。
その後回復しようとしても、一定以上の回復が望めない。そんな感じ。
その中で働いている人達には本当に尊敬と感謝しかない。
心底すごいと思う。
2019年初夏の頃。
昨年亡くなった父親の一周忌を4日後に控えたある日の夜中、病院から電話があった。
「いつ呼吸が止まってもおかしくない状態です。いらっしゃいますか?」
息子と娘を起こして病院へ向かった。
この時、主人は3人部屋の真ん中のベッドにいた。
真夜中病院に着き、みんなで声をかけた。
息子など数日後に迫った祖父の一周忌の心配をして、
「じいちゃんの一周忌やらしてあげよ。お父さんもうちょっと頑張りや」と繰り返していた。
今思うと、笑ってしまうくらいシュールな光景だけど、これが効いたのか、主人の呼吸や血圧が安定して来た。
医師からも、「今夜はもう大丈夫みたいやね」と言ってもらい、
でも「この状態が何日もつかは分からない」とも言われた。
家族で話して、この日から父親の一周忌の日まで、みんな仕事を休んで一日に二度病院に通った。
話しかけて、身体に触るだけ。出来る事はそれだけだったけど。
相変わらず、息子は「じいちゃんの一周忌」を繰り返していた。
そのおかげか、無事に父親の一周忌は済ませる事が出来た。
お坊さんがお経を唱えている間も、座布団の下にマナーモードにしたスマホを敷いて座っていたけど、とりあえずその日は鳴る事も無く、何とか法要を終えた。
結局そこから10日ほど、主人は頑張り抜いた。
家族がひとつ、一周忌という大きな事を越えて仕事に戻り、しばらくのあいだの時間を作ってくれたのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?