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本当の終活

主人が退院してからは、
「やらなければいけない事」にとりかかっていった。

退職の手続き
保険や年金の手続き
デジタル遺産の整理(これはもう本当に本人にしかわからない)

これらを主人は全部自分でやった。
義母からは「一緒に行って、手伝ってあげて」と電話で言われたけど、
「仕事辞めるのに嫁はん連れておかしいやろ」と本人に却下された。
ヤコブ病患者では珍しいかなと思う。働いていた分、病気に気付くのが早かったのかな?

この頃の主人は複雑な事を考えるのはしんどくても、普通に家で過ごしたり、ちょっとした用事をする分には問題無かった。
私は普通に仕事に行けたし、主人は黄菜子(猫)を膝に乗せてずっとパソコンの中の整理をしていた。


だけど本当に治療法が無いんだなぁと、つくづく思わされたのは、何ひとつ薬すら出なかった事。
「経過を見る」ていで次の診察の予約こそ取ってあるものの、
薬などは「今かかりつけから出してもらってるやつ続けて下さいねー」と言われたのみで、あいかわらず血圧だの、中性脂肪だのを下げるものだけ。

今、この状況で中性脂肪下げる事にどれだけの意味があるのか?
心の中でぼんやりとツッコんでいる自分がいた。


クロイツフェルト・ヤコブ病というのは、指定難病とされている『プリオン病』のひとつだけれど、確定診断が非常に難しいらしい。
何カ月もかかる髄液検査で陽性と判定されるか、そうでなければ病状を追って行って、主治医が「間違いない」と、いつ確信するかで決まる。
「100%の診断は、亡くなった後、脳の中を見ないと出来ないんです」と言われた。

この状況がなかなか周りに理解してもらえない。
主人の病気の事を、私の両親には私が説明したが、母からはしょっちゅう
「何の薬飲んでんの」
「検査結果まだなん」
「手術とか出来ひんのん」
「結果で違うかったら治るんちゃうの」と言われ続けた。
この現代に、医者すらも何も出来ない病気があるのだという事を、理解してもらう事は、思いのほか大変だった。

この頃両親も、父親が前立腺癌の治療後の経過観察中、母親は子宮癌で抗がん剤治療が終わったくらい、という微妙な時期だったし、心配に心配が重なっていったとは思う。

でもヤコブ病の患者家族が心を痛めるのは、自分達に降り掛かって来た事実に加えて、近しい人達の無理解に振り回される事も大きい。

お願いだから、そっとしておいて欲しい。
限られた時間を、乱されたくはなかった。

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