ひとりながらに考えたこと

私は人と話すことが好きだけどそれを避けている、と言う話をしましたが、

実際に人と話すと、聞いてほしいこと、欲しいこたえ、欲しいこたえ以外のこと、事実はそんなに簡単ではなくて自分の求めてることが、他人とは違うこと、それが現実だということ。

たとえば、私は家に帰ってもう好きなだけ寝て明日のことなんてどうでもいい、やらなきゃいけないことなんか、他人なんかどうでもいい。と、とにかく自分を満たすことだけ考える。

好きなだけ食べて、寝て、ゲームして、人とバカ話して。

私は馬鹿話が得意で、食べることも大好き、寝るのはもっと好き、ゲームもなんでも楽しめる。人と一緒なら、なおさら。

そんなことが、現実世界で通用するのか。

楽しいことは事実なんです。嬉しくて楽しくて幸せじゃないですか。仲間が多ければ多いほど嬉しいし、楽しいし、幸せで。

みんなと盛り上がりたい、好きなことで好きな仲間と同じテーマで、どんなテーマでもそうですが、ゲームひとつとっても、やっていることはひとそれぞれ。しかし同じゲームをやっている。ぷよぷよをやっていたり、ツムツムをやっていたり、ツイステをやっていたり、刀剣乱舞をやっていたり、艦これをやっていたり、どうぶつの森をやっていたり、スプラトゥーンをやっていたり、スーパーマリオをやっていたり、マリオカートをやっていたり、青鬼をやっていたり、ニーアオートマタ?をやっていたり。

食べるということにかんしても、

UFO、ポテトチップス、すき家、資さん、ジョイフル、モス、マック、ミスド、スタバ、くら寿司すしざんまいスシロー、タニタ、セブンイレブンやローソンやファミリーマートやミニストップやヤマザキやポプラやサークルKなどのコンビニ食や、パスタややきおにぎりやちきんと味ご飯の定食やカレードリアなどの冷凍食品やシャウエッセンやおひたしや冷凍ハンバーグや甘辛鶏唐揚げなどで作るお弁当やたまごやきやめだまやきや茹で玉子やハンバーグや🍛など奈土の手軽な料理、見んやっていてとおる道で、そういうジャンル、ライフワーク、noteでもありますけど暮らしという大枠的な、テーマなのかもしれません。共通の。

寝る、眠りに落ちるとき、あの温かくて何も考えなくていい安心感も好きですが、夢を見るのも好きだったりします。

永遠に眠りたい、とか思ったことありませんか?あの安堵からはだれも抜け出せないのではないでしょうか。

ぐっすりんには、眠りのためのコミュニティがありますが、カウンセリングとかも、リラックス法のひとつではないでしょうか?リラックスといえば、ヨガや、アロマ、スクラッチアートシートなどもリラックス効果が期待できると思います。

馬鹿話、これもただの意味はあまりないけれどストレス発散だったり喋ったら反応がもらえる、コールをしたらレスポンスがもらえる、言葉のキャッチボールが生まれること、お笑いの文化だってそういうおもしろおかしいの延長なのではないかと感じますが、やっぱりそういったテンポだったり語感だったりリズムだったり、おもしろい感じ、が文化になっているのではないかと私はそう信じていたいです。


そういった文化のようなコミュニティのようなジャンルのようなそういう空間、みたいなものは存在していて、居場所になります。

そう、そういう場所は探せばどこにでもあるんです。

でも、それだけではない。

自分の居場所がいくら存在しても、空間でしかない。どれだけおおきな恩恵でも。

盲信しても、現実から逃避していってるだけ。

というか、なんというか、消費者、でしかないわけです。

受けとる側、供給される側、なのです。

つまり、ダダで受けとる、そんなことはあり得ない。

それ相応の働きで人や社会に貢献していなければいけないのです。

というか、自分の働きや努力は自分に帰ってくるから、働けば働くほど、自分を向上して能力や知力を高めるほど自分の価値が上がっていき与えられるものも良くなっていく。

世の摂理にもはまることができて、居場所があって、素晴らしいことだと思うんです。

その摂理にならうこと、簡単ではないんです。

だからこそ他人の力を借りたい。

自分を苦しめて追い込んでスパルタ教育してくれる人、組織、腐った根性叩き直してくれる上司、そうすれば頑張れるんです。

搾取されるだけだとしても、私の教育料としてならお釣りがでるほどです。

それだけやってくれる人や場所、もの。

なんでもいいから頑張らなくちゃ、いまの恩恵にこたえられていないのです。

強くなって自立して自分をコントロールして自分を高めなければ、維持しなければ、続けてちからに変えなければ、恩恵に負けてしまうのです。

強い自分、大人、世にならった社会人にならないと。

だから今は人を寄せ付けません。私が大人になるまでは、世にならった社会人だと自負できるまでは。

現実に勝つこと、まずはそこからなのかもしれません。

現実に向き合う。

自分の欲求は、現実に向き合ってからのご褒美です。

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