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赤穂と京都の二重生活

家を借りたあと、妻と猫のミロキは先に赤穂に移り住むことにした。私は仕事のやり残しがあったので、しばし京都に残り週末や残していた有給休暇を使って赤穂で過ごすという二重生活を送っていた。
京都から赤穂まではJRで3時間ほどかかる。JRをたまに利用する人だとご存知かもしれないが「播州赤穂行き」という電車がある。その電車に乗ると京都を出発し途中、新大阪や神戸は三の宮など関西主要都市を通過する。その間、たくさんの人たちがそれぞれ住む駅で降りて行き姫路、相生あたりを超えると乗車人数はぐっと減る。そんな京都-大阪-神戸という三都物語をスルーして、もうほとんど岡山というところ、そこが播州赤穂である。
駅のホームから階段をのぼり改札を出ると赤穂浪士一人一人、つまり47人+1人分の絵があしらわれた階段を降りると少し開けた穏やかな駅前のロータリーがあり主にアニメ、邦画、洋画の吹き替え、宗教系の映画がメインというラインナップの映画館や100円均一などが入った商業ビルが隣接している。赤穂の町は、コロナウィルスの流行が始まったところだったのもあって京都に比べるとほとんど「無人」といっても過言ではなかった。

妻は赤穂でミロキと暮らしていて、赤穂周辺の自然を車で周り、時々ミロキと喧嘩する日々を過ごしていたそうだ。私が赤穂に移り住むころには、彼女はすっかり赤穂周辺を攻略して、現在でもよく遊びにいく海や山や道の駅のほとんどはすでに網羅されていた。一足先に京都を離れた彼女はリラックスしているようで私も少し安心した。それは転地療養の滑り出しとして非常に順調かのように思われた。

しかしそのこととは別に、私にもいくつか考えねばならないことがあった。まず喫緊の課題として

「どうやって生活するの!?」

という当然の疑問だ。まぁこれは退職後、失業保険というものがあるし、なんとかなるかなとは思っていた。それでも想像してみてほしい。40歳手前で無職になり縁もゆかりも仕事もない地に移り住む自分を。簡単に見えて、いざやろうと思うと、誰もやりたくないだろうし、なかなか踏み出せないと思う。ただ貯金が減っていくけど、「療養したい」ことと「貯金したい」ことの両立は望めるはずもなかった。やはり妻の療養が最優先だった。

さらに言えば私にはもう一つ考えなければならない課題があった。それは

「これからどうするの?」

というまさに、これからの人生まるごとである。

私は考えた。転地療養するのはいいとして、これからその後どうしよう。仕事を赤穂で見つけたとしてもだ。
どれだけ「いられる」かはわからない。赤穂が合わなければ?体調がまた悪くなったら?またどこかへ行くの?

大抵の人間同士の「信用」というのは、その人がそこに「いる」ことが継続することで勝ち取られる。「いる」ことは本当に根源的だ。例えば仕事にしても学校にしても、ほとんどが定期的かつ長期的に、そこに「いる」ことで単位や給料が発生する。

「いやいや、いるだけじゃなくて仕事(勉強)しなあかんでしょ」という人は、想像してみてほしい。あなたの職場に、物凄く仕事ができる人が「いる」として、その人がいつ「いなく」なるかわからない状態を。そんな人に大事な仕事を任せられるだろうか?

交通事故だって病気だってある。だから誰だっていつ「いなく」なるかはわからない。それは本当のことだ。だけど、それはとても当たり前のことだし誰だっていなくなる可能性はあるわけだけれど。けど毎日のように顔を合わす全員に対して心の底から、「いついなくなるかわからない」、そんなふうに感じている人がもしいたら、その人は少し不安が強いし、自分の心を休めることを考えた方がいいかもしれない。

おそらく大抵のひとは、明日もこの人はこの場所に「いる」という「根拠も確証もない信念」=信用をもってして集団や組織を円滑に回しているし、そうして社会は回っている。だから突然、誰かが「いなく」なって

「あれ?今日、季節さんは?」となるわけだ。
ある種の物語がそうした誰かの突然の不在から始まるのは、みんながみんなを信用している当たり前が崩れるからだ。

「いる」ことがなければ人間関係の築くことは難しいだろう。そう、私はこれからどうやって出会う人たちに信用してもらえることができるだろうか。そんな根源的なことと毎日のお金という具体的な課題に直面せざるを得なかったのだ。

つづく

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