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さよならの季節、哲学

さて今日は、前回の流れから必然的に「自分語り」にならざるを得ない。それは非常に抵抗もあると同時に甘い蜜でもあるわけで。「何を今さら」という声が聞こえてきそうだが躊躇がないというと嘘になってしまう。少し昔話をしたい。あんまり面白い話ではないので今日の分も読まなくてもいいかもしれない。けどいつも読んでくれてる人ありがとう。

二度にわたる哲学との離別

 私は大学のときに哲学を学んでいた。しかし当時の私からすると大学1年生、2年生で読んだカントやデカルトなど哲学の古典は「わざわざ、なんでこんなことを考えるんだろうか」と言いたくなるような「考えなくても良いものを引き出しの奥の方から引っ張り出してきて考え込んでいる、ずっと昔の人の本を読んで、また考える。」という営みに感じた。だから3年次の専門を選ぶにあたって哲学はやめて宗教学を専攻した。これが私の一度目の哲学との離別である。
 そのあと「大学は勉強するために入ったんだから働くための学校に行こう」と今の作業療法の道を歩み始めた。その時には、医学の道に進むのだから「哲学を捨てて科学の道に進まねば!」という気持ちが強かった。
今、思えば「ふ!若いな!」と思うが、そう私は若かった。
若いうちは別にそれでいい。どうせ出会う時期がくればまた出会うのだから。
それに文系ど真ん中、哲学頭が、いちから医学の道に進もうと思ったら、それくらい極端に振り切れなければできなかった。これが二度目の哲学との離別である。

哲学との出会い直し

 その後、紆余曲折あり晴れて私は作業療法士として精神病院で働くようになっていた。完全に科学に帰依していた私が臨床で直面したのは科学的、医学的な作業療法の限界だった。ここは、まぁ非常にややこしく作業療法士によっては異論があるところかもしれないので、軽やかにかわしつつ、まぁつまり私は「精神病理学や哲学、精神分析を学ばないと先には進めない」と思った。そしてそれが許されたのは先述のような私の職場環境のおかげだった。病院には臨床心理士が勤務していて、カウンセリングのない時間には作業療法室に常駐していた。この臨床心理士がなかなかの曲者で彼らを理解することは私にとって困難の一つだったし非常に苦労した。(もちろん人間関係としては良好な人たち(ばかりではなかったが)で、逆に言えば大変影響も受けた。)
 ある一人の臨床心理士から勧められ、まぁものは試しにと医局(医者の事務所みたいなところ)の精神医学系の本で勉強することにした。木村敏や中井久夫といった精神医学クラシックの全集がおいてあったし、片っ端から読んでいった。こうして大学時代に、さよならしたはずの哲学の道に再合流することとなった。

フランス語と転地療養、フランスへ

哲学や精神分析、精神病理学は主にドイツ・フランス・日本で盛んに行われている。哲学科の第二外国語選択は自動的にドイツ語なのだが、あまり楽しかった記憶はないだけでなく全く覚えていない。それにフランスの思想家のほうが今の私にはなんとなく馬が合いそうだったし、関心もあったのでフランス語をぼんやり始めることにした。この哲学の再合流とフランス語、フランス精神医学への入門がきっかけで、転地療養とは別にしてもぼんやりと「いつかフランスへ行ってみたいな」と考えるようになっていた。しかしその「行く」は「見学する」くらいのつもりで、まさか長期間に渡って滞在することは想定していなかったし、それが現実のものとなるとは夢に思っていなかった。繰り返すが私は「40」手前の「いい歳」した「働き盛り」の「夫」である。これは転落のはじまりか、はたまた新たなスタートか。
妻の体調と私の臨床上の行き詰まり。
私は今、まさに今後を大きく左右する分岐点にたっている、私の人生はそんな季節に差し掛かっていた。

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