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カロライナがやって来た〜あの頃カロライナと〜

6月のある週末、仕事と恋愛に疲れて人生の休暇中の友人、カロライナ(仮)が寄生ハウスに遊びに来てくれました。カロライナは外資系企業に勤め、東京を拠点に世界の街を行き来する仕事をしています。

岐阜出身のカロライナと大阪出身の私は17歳の頃、アメリカのノースカロライナ州での高校留学を通して出会いましたので、かれこれ15年以上の付き合いになります。今は兵庫と東京で離れているので頻繁には会えないけれど、メールでの近況報告はちょくちょくし合っています。

そんなカロライナですが、ここ数ヶ月、出張先のヨーロッパの歴史的な街やアメリカのイケてる街から、素敵な絵はがき、ではなく満身創痍を絵に描いたような LINEを送って来ます。なんでも、東京で同棲していた彼氏(クソ)に浮気され、破局して、帰る家を失ってしまったそうで...。同棲の先に描いていた結婚の夢も敗れて愕然としていました。家族の勧めもあって、カロライナは今、少し長めの有給休暇を取得し、岐阜の実家と東京を行き来しながら、休養と新しい住まい探しをしています。

久々に会うカロライナは想像していたより血色も良く、ますます綺麗になっていました。一緒に神戸で激辛麻婆豆腐を食べたり、妙見山のリフトに揺られたり、楽しい週末を過ごしました。みらいとかのんも、カロライナを大歓迎。かのんは朝、カロライナが起きて来るのが待ちきれず、寝ているベッドの横でピアニカを吹いていました。

               ↑妙見山

カロライナは職業病なのか、ずっと笑顔だったけれど、時折別れた彼氏への怒りや寂しさが溢れてくるようで、まだ心の傷と戦っているようでした。

カロライナ曰く「東京は、どんな地位についているか、何を持っているか、誰と知り合いか」をすごくみられるところだそうです。別れた 彼氏(クソ)もそんな世界の住人だったようです。地位が低い者、持たざる者、影響力のある知り合いがいない者は、マウンティングされ、淘汰される街、東京。怖いところですね〜、東京って。

最後の夜、十三(大阪屈指の飲み屋街)のイタリア酒場で、カロライナはそんな世界のことを皮肉っぽく私に話してくれました。ただ私は、カロライナ自身が、その世界の一部になっているような気がしていました。例えば、カロライナとの会話には「知り合い」とう人物が何人も出てきます。

東京で家を探す間部屋を貸してくれる「知り合い」
ハーバード大学を卒業した「知り合い」
ニューヨークにいる「知り合い」
ロンドンにいる「知り合い」
何やってるかわからないけどけどものすごく金持ちの「知り合い」

「知り合い」って誰やねん!

と何度も突っ込みそうになったのですが、お互い大人ですし詮索するのも野暮かなと思い、深くは尋ねませんでした。

カロライナの話に頻出する「知り合い」ですが、カロライナ自身がその「知り合い」を本当に慕っているのかも、「知り合い」が彼女のことを本当に気にかけてくれているのかもわかりませんでした。「知り合い」、どこの誰かは知る由もないけれど、きっと地位もお金も人脈も持っている人(男性)なのでしょう。そしてその「知り合い」との交流は、カロライナがその世界でマウンティング&淘汰されないように身を守る方法の一つなのかもしれません。

カロライナの「知り合い」の定義が何かわからないけれど、私はカロライナは「知り合い」ではなく「友達」に助けられてほしいなと思いました。今のカロライナに必要なのは「東京から離れること」と「休息」と「友達」じゃないかな、と。

ノースカロライナ州の田舎の高校で、勉強とバスケットに打ち込む17歳のカロライナは凛としていました。あの頃、私たちはアメリカでの高校生活を乗り切ることに必死だった。英語で言いたいことをうまく伝えられない自分にイラついたり、日本では簡単にできることに悪戦苦闘しながらも、ホームステイ先のお家で、高校の授業で、部活で、地域で、いちから自分の居場所を築いていったのです。あの頃、カロライナには「外資系企業」の肩書きもなかったし、「知り合い」もいなかった。そんなものが全く役に立たない場所で、17歳だったあの頃の私たちは、つたない英語と、前向きな姿勢と、行動で自分自身を表現するしかなかったのです。

ゆっくり休んで、日光を浴びて、カロライナが安心して暮らせる日が早く来ればいいなと思います。そして、休暇が終わっても、華やいだ街で都会の絵の具に染まりすぎないことを祈るばかりです。妙見山の木々や草花は、鳥のさえずりは、澄んだ空気は、心の栄養になりましたでしょうか。兵庫県の庶民との交流は、素朴な幸せを感じる一助となりましたでしょうか。

東へと向かう列車でこの曲をお聞きください。そして、東に向かうなら、とことん東に行ってみてはどうでしょうか?残りの休暇で、アメリカ大陸の東側まで行って、ノースカロライナ州であの頃のことを少し思い出すのはどうでしょうか。