あの頃のカロライナと再会
前回カロライナが兵庫に遊びに来たのは、コロナが始まる前でした。あの時、仕事と恋愛に疲れて人生の休暇中だったカロライナ。あれから約3年と数カ月のとある日、カロライナから連絡がありました。
「10月、1ヶ月休み取ったから、遊びに行っていい?」
私は、また「何か」あって2回目の「人生の休暇」を取ったのかな(参照)と心配な気持ちもありながら、カロライナの訪問は大歓迎でした。というか 私もいろいろあったので、キャッチアップしたかったのです。笑 3年前、私は寄生先のジェームズ+ナギ子宅から独立(?)し、現在は一駅先の住宅街に住処を見つけて暮らしています。相変わらず一家とは仲良く、週末にアポなし訪問して一緒にご飯を食べたり、泊まったり、正月にナギ子の故郷である沖縄に一家と共に帰省(寄生?)したり、週末寄生、ホリデー寄生を続けています。
10月のある金曜日の夜に伊丹空港に着いたカロライナ。
私は仕事後に合流し、電車で私の兵庫県の自宅へ。
久々に会うカロライナは変わらず綺麗でした。
その日の晩は、ウェルカムディナーとして関西っぽいものを出すべく、お好み焼きにしました。カロライナはプレミアムモルツを、私はシャンディーガフを飲みながら、山芋(角切り)が隠し味のお好み焼きを作りました。ソースは、カロライナが「見たことがない」と言った、どろソースで。
この1年でカロライナの生活はガラッと変わったようです。
最後に付き合っていた彼氏との関係も清算し、なんと岐阜の実家に戻ったそうです。私は、カロライナにとって「東京=不健康な人間関係の温床」と思っていたので、新しい人生に心からおめでとう!と思いました。仕事で時々東京を訪れることがあるそうですが、故郷の岐阜に生活の拠点を移したカロライナは、ものすごくデトックスされ、癒され、自由になったようにみえました。以前のような端正な仕事モードの笑顔ではなく、くしゃっとした優しい笑顔になっていました。それは、ノースカロライナ州の田舎の高校で出会った頃、17歳のカロライナの顔でした。
東京の大学へ進学し、就職し、東京で超高スペックの「知り合い」との人間関係の中で生きていたカロライナは、いま、岐阜のふるさとで素敵な「家族」に囲まれています。
娘の里帰りを心から喜ぶ「両親」
子育てに奮闘しながら適度に姉を頼ってくれる「妹」
家族思いで妹を大事にしてくれる「妹の旦那さん」
実の娘のように可愛がっている「姪っ子」
カロライナは今、仕事の負荷を減らし、近所に住む妹の子の育児をしたり、生け花や茶道の教室に行ったり、瞑想をしたり、ヨガに行ったり、幼少期から続けている日本舞踊のお稽古に通っているそうです。「無条件の愛情」に包まれ、カロライナが自分自身に戻れる「本当に好きなこと」にたっぷり時間を使って、本来の強くて凛とした自分を取り戻したように思えます。将来、東京に戻ることがあっても、きっと高スペックな「知り合い」に翻弄されることはないでしょう。
翌日、私たちは京都に出かけました。特に、目的地はないけれど、河原町から八坂神社のあたりをぶらぶらと。留学時代、カロライナとニューヨークに旅行に行き、凍てつく寒さの中ぶらぶらしたことを思い出しながら。住んでいる場所は近所ではないけれど、17歳の頃から変わらず、こうして一緒に時間を過ごせる友達がいることは、とても貴重で幸運なことだなと感じました。
帰り道、河原町にある花屋に寄りました。高瀬川沿いの、小さいながらも、店主のこだわりのお花が並べてある花屋でした。秋の花屋には、赤やオレンジの華やかなケイトウ、赤やピンクの薔薇、ダリア、コスモスが並んでいました。いろんな花の中で、私はふと、カロライナには白い百合が似合うと思いました。
白百合の花言葉は「純粋」「無垢」だそうです。カロライナの端正な外見、仕事で洗練された上品な立居振舞い、丁寧かつ控えめな話し方、どんな時も優しい笑顔で対応できること(できてしまうこと)。きっと、かつての東京の「知り合い」は彼女を「純粋」「無垢」な人と思ったでことしょう。ただ、白百合にはもう一つの花言葉があります。私は、その言葉が一番カロライナに似合っていると思います。