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【連載小説】止恋〜シレン〜 第一話「抑を憶えない欲」

君が吐いた嘘はとても綺麗で僕にはただ眺めることしか出来なかった。
君が並べた想いに真実は無く、それすらも愛おしいと思わせるほどとても残酷だった。
君の隣にふさわしい音色を奏でることが出来ない。そんな事実すら覆す虚構を覗いていた。

何もかも壊してやりたくなるほど滑稽で、それでいて全てを守りたいと思うほどに美しかった。

当たり前のことが当たり前に出来なくなる、そんなふうに全てを忘れるほど只々愛していた。

全てを壊した君を消し去ってやりたい。口から紡ぎ出される思いとは裏腹で頬を伝う涙からは安らぎと安心を感じた。

感じるままに全てに答え、不埒な温度に惑わされた。

全ての答えが載っている教科書があるとして、そこに書かれていることに僕は従うだろうか。

例えば
「あなたがこれまでの人生で出会ってきた人にはなんの価値もありません。これから出会う人があなたの人生を照らすでしょう。今までの人とは関係を切りなさい」と。
答えはNOだ。

何もかもを捨て去り、自分だけを優先するなんてことを出来るほど大人じゃない。
ただあればいい。そこに居るそれだけで、全てが満たされていた。

第一章 抑を憶えない欲

鉄の匂いがした。
血が流れる音。誰かの悲鳴。皮膚のさける感覚がどうしても消えない。
不透明でそれでいて酷く鮮明に心の中に残っていた。

「まだこんな夢を見るんだな。」

そんな感想を持ちながら目覚めた朝はただ不快だった。時計を見ると今は午前7時45分。支度して仕事に行くには少し早い時間だ。普段なら二度寝してもう少ししてから朝の支度をする。だけど今日はそんな気分にはなれなかった。

「どうせ寝れない」

後悔のような感情を持って、それでも覆せない現実を眺めながら気怠げにベットから出る。
カーテンを開けて朝日を見る。自殺したくなるほどの良い天気。なんでこんな最悪な日に雨が降らないんだろう。正直雨は好きじゃない。雨の日は癖毛の処理に困るからだ。

でも今日は雨が降って欲しかった。なんなら大雨でも降ってくれたら尚よかった。天気が自分の心のありようを映してくれるようなそんな子供みたいな考えは持っていない。
良いことがあった日は快晴。悲しいことがあったら雨が降る。それはドラマや映画の中だけということは知っている。世界は自分の都合の良いようには回らない。全てを理解したうで今朝は不快感しか感じなかった。

いつも通りの朝。トイレに行きシャワーに入り朝食を摂る。普通の人と何も変わらない平凡な朝。
ただ少しだけ他人と違うところがあるとすれば趣味の紅茶を飲んで外の景色を眺めながら30分から1時間ほどゆっくりするということ。BGMはもちろん大好きなV系だ。クラシックやジャズのようなおしゃれな曲は生憎と嗜んではいない。この日課はずっと続けている。
いつも通りの日常。ただ今日はいつもよりも余分に時間がある。

「あと1時間は余裕があるな。どうしようか。」

何かをしようにも何もすることがない。掃除でも、と思ったが昨日掃除したばかりだから部屋は綺麗だ。趣味のギターでも弾こうと思ったが1時間しか余裕がないならば消化不良で終わりそうだ。

「読書でもしようかな。まだ読み終わってない本あるし。」

そう思いながら本棚へと向かおうとした時スマホから着信音が聞こえた。誰だよこんな朝早くから。そう思いながらスマホ見ると表示されていた名前は小野寺咲(オノデラ サキ)。会社の上司からの着信だ。無視しようかとも考えたが出るしかないと思い通話ボタンを押す。

「もしもし、にっちゃんおはよう!朝早くにごめんね〜」

”にっちゃん”というのは僕のニックネームだ。本名の新井田智大(ニイダ トモヒロ)から来ている。

「おはようございます。全然大丈夫です。何かありました?」

「今日なんだけどにっちゃん12時から出勤だよね?本当に申し訳ないんだけど今すごい仕事が詰まっててさ、無理じゃなければ11時から来てもらうことってできる?」

早くきてほしいとの連絡は今に始まったことじゃない。こういったことは何度もある。だからと言うわけではないが僕はすぐに肯定で返した。

「もちろん大丈夫ですよ。もしかしたら5分前後遅れるかもしれませんが11時ごろにはいけると思います。」

「ほんと!?ありがと〜〜〜。お礼に今日のお昼か夜何か奢るね!」

「いえいえ本当に気にしないでください。困ってるなら幾らでも頼ってもらってOKなんで。」

「いつもいつも本当にありがとね。すごい助かってる。」

「俺が全部どうにかするんで任せてくださいよ」

「ありがと〜〜〜。それじゃ待ってるね!バイバイ!」

「は〜い失礼します」

僕はこの人がそんなに得意ではない。いつも明るくて元気で誰とでも仲良くなれるような人。僕とは正反対の人。
でもこの人の明るさにはいつも助けられている。だからこの人が困ってる時、助けられる範囲ならば全て助けようと決めていた。
それに今日は暇な時間を解消してくれたからむしろ有難いと思っている。
気怠げな気持ちが無いわけでは無いが出かける準備をする。

札幌の4月は寒い。部分的にではあるがまだ雪も溶けきってはいない。東京では桜が咲いたとのニュースも出ているが札幌にはまだ春の訪れは見えない。
ただ今日に関しては4月とは思えないほどの暖かな日だった。

「着てくる服間違えちゃったな」

ジーパンに少しモコモコした厚手のパーカー。昨日までならばこの格好でちょうど良いくらいの気温だったのに。どうして今日はこんなに不快なのだろう。そう考えながら地下鉄までの道を歩く。地下鉄までは歩いて10分程度だ。

家族連れや散歩している老夫婦、近くの小学校から聞こえる子供たちの声。街の喧騒を聞きながら出勤するのにももう慣れた。
僕が働き始めたのは今月からだ。3月までは大学生で大学自体は田舎の方にあった。だからなのかこっちに引っ越して最初の方はどうしても街の喧騒に慣れなかった。集団で信号を待つことや、電車を待つ時に大勢が列を作ることにどうしても抵抗感があったのだ。

少しずつではあるが都会に染まりつつある自分を誇らしく思っていた。それと同時に少し恐怖していた。この街に染まること。それは自分自身の成長を感じると共に過去の自分を否定しているように思えたからだ。

イヤホンをつけて最寄りの駅まで進む。流れる音楽が都会の喧騒をかき消してくれる。外を歩くときは必ずイヤホンをつけていた。今考えてみれば、その行為は自分自身を守るというただの自己防衛だったのかもしれない。

相変わらず人が多い電車に乗り込み会社まで急ぐ。今の時刻は10時32分。これなら時間通りに着くだろう。
目的の駅に到着し電車を降りる。この場所は比較的人通りも少なく僕にはちょうど良い場所だ。

会社まではここから徒歩5分。コンビニに寄って眠気覚ましのコーヒーを買ってから行っても間に合いそうだ。
ポケットの中でスマホが震える。咲さんからのLINEだ。

『ごめん!お願いあるんだけど、コンビニ行く暇合ったらモンスター買ってきて欲しい!』

『おkです。いつも通りの青いやつで大丈夫ですか?』

『うん!!』

『わかりました!』

このやりとりはいつも恒例だ。彼女は朝に弱くいつも出勤がギリギリなため、咲さんの飲み物は僕が朝に買っていく。どうせ今日も何か買ってきてという連絡は来るだろうと思っていた。

こういったやりとりは嫌いではない。小さなことでもあの人のためになるのであれば、それだけで僕の心は何故か満たされていた。
他者からみればただ都合が良い男に見えるかもしれない。それでも良かった。あの人のためならば。

コンビニで目的のものを購入し会社に向かう。日差しがきつい。4月とは思えない気温に少し頭痛がしていた。
見慣れたビルに到着し会社へ向かう。会社は2階にあるためエレベーターは使わずに階段で登る。

「おはようございま〜す」

「おはよ〜」

うちの会社は比較的小さな会社であまり上下関係というものが存在しない。基本的に全員仲がいいのだ。上司に簡単な挨拶を済ませて咲さんの元へと向かう。

「咲さんおはようございます。いつも通りのモンスターです」

「おはよ〜。いつもいつもありがと〜。今日早くきてくれて助かります!」

肩にかかる程度の赤みがかった茶髪。それを後ろで結び、前髪は眉毛にかかる程度。目鼻立ちは整っており控えめにいっても美人の部類に入る女性。咲さんは男なら誰しもが可愛いと思うような、そんな魅力的な女性だ。

「いえいえ、どうせ朝早く目が覚めちゃって暇してたので大丈夫ですよ」

「ほんと?なら良かった」

「まったく問題ないっすね」

「ほんとにありがとね」

「うっす」

咲さんとはとても仲が良い。年上の上司ではあるが、同い年の友達のような感覚で話せる。咲さんにモンスターを渡して、やるべき仕事の内容を聞く。簡単な説明のみであったがそれだけで相手の意図が分かるくらいには関わりが深かった。
自席へと座り、パソコンを立ち上げ仕事をする。変わらない日常。こんな日常がずっと続けばいいのにと思うくらいには僕はこの日常が好きだった。

手早く仕事を済ませたつもりでいたがすでに3時間も経過していた。どうりでお腹が空くわけだ。他の人は皆お昼に出かける準備をしている。
さて、今日のお昼は何にしよう。コンビニのお弁当かもしくはカップ麺でもいいかな。そんなことを考えていると、

「にっちゃんお疲れ!これからお昼外に食べに行こうと思ってるんだけど一緒に行かない?今日早くきてくれたお礼におごるよ」

「まじっすか、じゃあ連れてってもらおうかな」

なんとなく声をかけられるだろうなとは思っていたが咲さんから声をかけられた。こんな美人と一緒に食事に行けるのは普通に嬉しいことだ。

「うん!何か食べたいものある?」

「あんまり重たいものじゃなければなんでもいいっすよ」

「近くに定食屋さんあるからそこ行こっか!」

「うっす」

二人で会社を出て近くの定食屋へ向かう。何度か一緒に食事へ行ったことはあるが、その度にデートしているような気分になってしまう。情けないなと思いつつも嬉しくもあり、恋とはまた違った感情だった。

「今日暑いね。その格好暑くないの?」

咲さんが僕の格好を見て少し引いている。

「昨日まで寒かったじゃないですか。今日も寒いと思ってめちゃくちゃ服装間違えましたね」

お互い笑いながら歩く。新しい生活と気の合う女性。仕事にも特にこれといった不満はない。新しい日々に期待と少しの不安を抱きながらも概ね順調に進んでいた。
お店に到着し席につく。僕はサバの味噌煮定食。咲さんはホッケ定食を注文した。北海道の札幌市ということもあり海産物は美味しい。それなりの値段もするがこの店は安いほうだ。
水を一口飲み、さあ何を話そうかと思っていると咲さんの方から話しかけてくれた。こういう気遣いができるところも咲さんの魅力の一つだ。

「今フリーでやってる仕事の方はどう?いい感じ?」

「そこそこ順調ですよ。売り上げの方も順調に上がってきて、もう少ししたら月10万くらいなら稼げそうです」

僕は副業でウエブデザインの仕事もしている。大学3年の時に資格をとり、個人で稼げるようないわゆるフリーランスに将来はなりたいと考えている。

「そうなんだ。すごいね。大学の時からずっとだもんね。うちの会社でもバイトの時からずっと頑張ってくれててほんとにありがたいよ」

「そんな大したことないですよ。咲さんがいろいろ仕事教えてくれるからちゃんと頑張っていけるんですよ」

「私もにっちゃんが頑張ってくれてるから、すごい仕事がしやすい。ありがとね」

今の会社は大学の時にバイトとして入社している。大学2年生の初め頃だ。そこから3年間ずっとバイトとして働き卒業後は正社員として雇ってもらっている。咲さんだけでなく他の先輩方にももちろん感謝している。

「あ、そうだ。明日ってにっちゃん休みだよね?夜にみんなでどこか飲みに行きたいと思ってるんだけどよかったら行かない?」

「明日ですか?すいません。もうすでに予定入ってて厳しいです」

せっかくのお誘いを断ってしまった。なんて馬鹿なことを。ただ明日は仕方がない。大学の同級生が遊びにくるのだ。流石にそちらをバックれて咲さんの誘いを優先するほどロクでなしではなかった。悲観的な感情を持って落ち込んでいると咲さんが、

「あー、そっか。じゃあ仕方ない。でもその代わり今度私と飲み付き合ってよね」

「もちろんです。予定さえ空いてればどこだろうとついて行きますよ」

二人でおかしく笑いあう。もう既にこの時から僕は恋に落ちていたのかもしれない。

これが終わりへと続いていく階段だということも知らず。たとえこの時から全てを分かっていたとしても今の幸せに浸ること、それをやめることは出来なかっただろう。

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