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相手の立場になってモノを考える

大人だったら自動的にそうなる とTwitterで書いていた人がいる。
通して読んだところ
それは「忖度」の一つ と捉えていらっしゃるようだ。

いや、そんなめんどくさい話じゃない。

そんな風に言える人は、きっと考えていることを「忖度」してもらえて生きてきたんだろうな。
或いは、「忖度」してもらえなかったらちゃぶ台をひっくり返して退場することが可能。
あとは、お片付けスタッフが何とかしてくれたのでしょう。

言ってることが誰にも理解されず
或いは
理解されているような気がせず
焦燥感に陥り、絶望し、孤独になり
そこから這い上がった人の気持ちなんて、それこそ、分からないだろう。

分かる必要もない。
君の言うことは理解されて当然であり
むしろ
理解されないのであれば相手が阿呆であるから。

自分が理解されるのは、
きちんと言いたいことを述べ喜怒哀楽を相手に示し
正直であった自分があるからだ と思っているでしょう。

違うよ。
それはね、君が君だから。
既に「理解されることを是」とする雰囲気を身につけ
当然のごとく好き勝手に言える術を身に付けていたからだよ。
その上で言葉を重ねるから、通っただけ。
周りは威圧されただけ。
もしくは
そのもの珍しい言動に、ある種、周りが竦み、「聞くことを是」だと思ったからだ。
中には、本当の意味で理解し賛同した者もいるだろうけれど。

私が言いたいのはね
分かったような顔をするな ということ。
一人一人の話に耳を傾け、否定せず受け入れ、咀嚼することをサボるな ということ。
対話することをサボるなということ。

まだまだ、全ての人に会ったわけでもなく
君はまだ若いのだから。

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