電話から覗けた暮らし 日本アルバイト紀行(5)

旅先:電話先
交通手段:電話
職種:クレジットカードの振込の督促
時給:850円

 「督促」という言葉はこのバイトで知った。クレジットカード会社の、振り込み案内の仕事である。

 拘束されることを嫌って単発の仕事しかしなかった僕が、初めて体験した長期のアルバイトだった。クラスの友人の紹介で、千葉市内に事務所があるクレジット会社に通った。

 仕事自体は全然難しいものじゃない。ブラックリストまでいかない、クレジットの未払い常連に夜電話をかけ、支払いの期限を伝え、振込先の電話番号を控えさせて、支払ってくれると(仮にそれが嘘でもいいから)約束を取り付ける。これだけだ。

 基本的に、昼間のうちに契約社員のおばさんが電話をかけている。そのメモを元に、昼間捕まらなかった人に電話をかけるわけだ。なもんで、結構このメモが重要になる。「支払う」と約束したり、条件付きで延長を申し出たりする人がいれば、それを逐一メモる。この作業を怠ると、支払うと言ったのになぜ電話をかけてきたんだ、なんつうクレームにつながりかねない。このポイントさえ気を付ければ、実に他愛無い仕事なのだった。

 このバイトとは相性がよかったのか、何の苦労もしなかったし、後で聞いた話だが始めてすぐがんがん約定をとりつけるので、社員も僕の成績の良さに驚いていたそうだ。根が受験生だから、机に向かう仕事で、与えられた任務を、ある1つのシステムにのっとって右から左へ効率良く流していくだけなら得意なのだ。工夫したことなんて1つだけ。まず電話をかける。かける先やその電話番号のメモは、電話待ちの間に書けばいい。それ以上工夫のしようがない仕事だった。

 いろんな人と電話で話した。かわいそうだったのは、入院した奥さんの代わりにローンを支払っている旦那さんだったな。給料の受け取り日と支払いの期限、それと銀行やATMに行ける時間を作れる日のタイミングが悪かったのか、きちんと1カ月ごとに支払ってるのだが、どうしても遅れてしまい、督促の電話がかかる。「ちゃんと払うから電話はやめてくれ。気が狂いそうだ」と毎回愚痴ってた。が、1日に何十人と電話をかけるし、遅れている人には自動的に電話するシステムになってるから、個別の事情まで鑑みて「この人に電話するのは控えよう」というわけには、どうしてもいかなかった。

 電話をかける先の簡単なプロフィルなどはわかるのだが、呆れたのはおよそ生活苦とは言えない贅沢病で延滞している人の多いことだった。親のクレジットカード(なぜか複数枚あった)を使ってアクセサリーを買い込み、延滞して親に払わせてる若い女性もいた。

 かわいそうなのは子供だね。友人に「子供が出て、お父さんもお母さんもいないって言われたら、後ろで声がするから替わってって言ってみろ」と教えられたので実践してみたら、子供が親に電話を渡してしまうことは何度もあった。

 電話の向こうには、いろんな人の生活が見えた。無論金持ちじゃないが、カードを作れる程度には余裕がある。そんな半端な人たちの、愚痴や恨みや嘆きが見えた。しかし、僕はそれを一切気にしないようにした。っていうか、いちいち気にしていたら、かけられる電話もかけられなくなる。ただ「支払ってね」って笑顔で話すだけ。だったらいいだろ、と割り切った。

 ひどいのはブラックリストに乗ってる人への督促だ。僕はその役につく前にやめたが、ベテランだった友人が「払ってもらわなくちゃ困るんですよー!」と怒鳴ってる姿を何度も見た。

 途中、KTおさんという社員が加わった。明らかに特別待遇だった。眼鏡をかけた長身細みの、左翼崩れのヤクザみたいなルックスで(どういうルックスだよ)、とにかく従来ない厳しさで督促、っていうか催促していた。

 忘れられないのは、「金がない?電話があるでしょ」と凄んだときのことだ。「今喋ってる電話を売れば、6万円くらいにはなるでしょ」と言うのである。かわいそうだとは思わなかった。むしろ滑稽だった。6万円支払ってもらっても、電話を売られたら、クレジット会社だって連絡を取る手段がなくなって困るだろう。単なるブラフに過ぎないに決まってる。しかし、そうまでして脅したりすかしたり、押したり引いたりしてなんとか支払わせようとする姿が、真剣なふりをしながら、何かのゲームに取り組んでるように見え、申し訳ないがおかしいと思った。

 社員は皆、なぜかいい人ばかりだった。「非情」や「残酷」からずっと遠くにありそうな方ばかりだった。今思えば、自身いろいろと苦労してきた転職組だったんじゃないかと思う。牧歌的に、穏やかに支払いの督促をしていた。

 名前は忘れたが、図体はやたらでかいトップに、「すみません、明日から来られないんですが」と伝えたら「前もって言ってくれなきゃ困る。それは社会の常識だ」と諭されたことがある。しかし、彼は決して叱りはしなかった。怒ったり、声を荒げることもなかった。嫌な仕事じゃなかったが、好きでもなかった僕は、「督促」の世界からきっぱり足を洗った。

 正解だったと思う。ちなみに、お茶の水駅前にビルを構えていたそのクレジットカード会社は、現在もある。

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