罪と罰日記 6月11日 アキバ無差別殺人犯にも共通

フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。

 第二部174ページまで読んで思ったことは、ドストエフスキー、少なくとも「罪と罰」は難しくないってことでした。
 
 哲学的問答が続いたり、抽象的な文章が畳み掛けるような印象を持ってましたが、全然そんなことはない。
 確かに、手紙は長いし、覚えづらい名前が頻出するけれども、文章そのものはむしろシンプル。
 時系列通りに展開する構成は、単純すぎるほどだし、登場人物の心理は台詞でほぼすべて説明されるし、「わからない」「わかりづらい」ってことはないですね。
 
 ただ、愚痴が長い。社会への怨念にも近い言葉の羅列は、秋葉の通り魔容疑者の掲示板書き込み(現時点では本人の書き込みか確認されてませんけど)に共通するものがあります。
 いや、似てるんだ。
 常にこういう、「僕が不幸なのは社会のせいだ」と思い込んでいる人っているんですよ、現代だけじゃなくて。

 しかしラスコーリニコフ、うかつなんですよ。あきれるっつうか、読み手がひやひやするくらい。
 
 寝込んでるラスコーリニコフを見舞いに来た客が、金貸し老婆殺人事件の話題を口にすると、ベッドから起き上がって激しく反応してしまったり。
 刑事のザトーリョフが訪れたら、「あなたは私を犯人の可能性があると思っているでしょ。よろしい。確かに金遣いが荒くなってるし、疑われても仕方ない」なんて自分で言い出しちゃうんです。

 漫画「デスノート」で、月とLが協力してキラを探し出すあたりから乗れなくなってしまったクチなので、このへんはしらけてしまいましたが。

 さて、金をすべて飲み代に遣ってしまう退職官吏マラメードフが馬車に轢かれ、ラスコーリニコフが付き添って家まで送ったところまできました。これからどうなる。 

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