立ったまま寝た昼、人生で最も長い夜 日本アルバイト紀行(4)

旅先:千葉県東金市の山奥、
職種:道路警備
交通手段:千葉市内の事務所から車で
時給:確か850円

 「もう2度とこの仕事はやるまい」。房総を覆う漆黒の空を見上げながら、僕はその夜、何度そう考えたろう。道路工事の警備のアルバイトは、たいていの仕事を楽しんだ僕が唯一なじめなかった仕事である。

 クラスの友だちの誘いで千葉市内にある事務所へ顔を出したのは午後2時か3時ごろだったのではないかと思う。置いてるソファは皮張りなのに、建物はプレハブといういかにもな田舎の会社で、スパッツを履いた恐らくは社長夫人に形ばかりの面接を受けた。タバコでしわがれたハスキーな声とアンニュイな表情、中途半端に派手な服は、造りは美人なのになぜかスナックな雰囲気をかもし出していた。

 僕は正直この仕事を本気でやるつもりはなかったので、まずはずっと続けるか分からないというエクスキューズを言った。いやあ、最初にお断りしておきたいんですが、なんですか、あのお、もしかしたら今日1回だけで終わるかもしれないし、いや、ちゃんと仕事しますよ、するんですけど、週に2回とか月に3回とか言われると、正直な話ちゃんと顔を出せるかどうか、そのお、決して保証の限りではな…。

 「じれったいね、わかってるよ!」

 とその推定社長夫人は声を荒げるのだった。

 「だから大学生って嫌いなんだよ。来たくなくなりゃ来なけりゃいいだろ。追い掛けやしないよ」

 その後もときどき言われるのだが、どうも大学生ははっきりしなくて、うだうだしている、と批判されることがあった。このときもそうだった。

 事務所で手続きを済ませて、まず研修を受けた。なんだかしょっちゅう走り回ってる、眼鏡をかけた40才前後のおじさんが、親切にいろいろ教えてくれた。照明棒(っつうのかな)での手旗信号みたいな振りも覚えさせられたはずだ。なぜかそのときの記憶は欠落している。で、確かバンに乗せられたと思う。車中では、クラスの友だちと別に、女の子と一緒に乗った。既にベテランらしく、警備焼け(って言葉があるか知らんが)していて肌は黒い。決して美人ではない。けど、気さくで人なつこくて、僕は案外好きだった(一緒に行った友だちは「ブスは相手にしない」と言ってほとんど口をきかなかった)。

 その子、Oつかさんは確か当時18才。自動車好きな彼氏の話を楽しそうにしていた。ちなみにその後、彼女は外車にトラックを誘導して首になったと聞いた。

 到着したのは東金である。千葉市に面してこそいるが、隣は有名な九十九里。ただし海に面していないばかりに、普通、人は訪れぬ山あいの町である。たぶん千葉県民以外で知っている人は5人といまい。

 その山奥の道路工事において、通りかかった自動車を誘導するのが僕のミッションだった。林に挟まれた存在意義のない道路に立たされ、必然性のない工事現場を警備した。なーんだ楽勝じゃン。問題は一晩中起きてられるかだな、と朝型の僕は思った。

 夕方からの警備だが、想定外だったことがある。あまりに退屈なのだ。なんせ東金の山奥なんてまともに車は走っていない。小春日和にヤッケを着てれば眠くもなる。あとにも先にも、路上で立ったまま寝たのはあのときが最初で最後だ。

 問題は暗くなってからだった。

 ほとんど車など通らないから退屈このうえない。さあて、もう10分くらいはたったかな、と時計を見て驚いた。2~3分しか過ぎていないのである。時間が全然過ぎていってくれない。何度時計を見ても同じだ。たった1時間がまる1日のように感ぜられた。それがあと8時間も続くと思うと、思わず気が遠くなりそうだった。

 それはそれはつらーい体験だった。寒いわ、暗いわ、何もないわ。夜の東金なんて面白いわけがない。全然車が通らないなら寝ることもできる。ところが弱ったことに30分に1回くらい、思い出したようにヘッドライトがこちらに向かって来るのだ。そのときははっとして目を開け、照明棒(って言うのかしらんが)で工事現場を避けるように誘導する。なんでこんな時間に東金にいるんだよ。昼走れよ!などと見当違いの怒りを車にぶつける。

 その夜、恐らく僕は一生分、時計を見た。あんなに時計を見たことはない。もう5分はたったよな、えっ1分?嘘だろ?それはそれは間延びした、質の低い時間であった。哲学の本が教えてくれたように、時は決して均一ではない。そんな事実を東金の路上で知らされるとは。

 ようやっと空が白み始め、規定の時間が過ぎた。よくここまで頑張った。僕は有森裕子より10年も早く自分を誉めた。バイト代1万円をしっかと受け取って、もう2度とこの仕事はすまい、と朝日に誓った。

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