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善人も死ぬ『タワーリングインフェルノ』、死なない『ダイハード』

 久ぶりに映画『ダイハード』を観て、『タワーリングインフェルノ』を思い出した。

 いずれも超高層ビルが舞台だ。
 そして、ビルの落成式に集まった人たちが閉じ込められ、救出されるまでの物語である。
 ビル内部にいる主人公(『ダイハード』はブルース・ウィリス演じる刑事、『タワーリングインフェルノ』はポール・ニューマン演じる建築家)が、外部の協力者(前者はレジナルド・ヴェルジョンソン演じる警官、スティーブ・マックィーン演じる消防士)と共に、閉じ込められた人たちを救出するプロットも共通している。

 超高層ビルが舞台なので、ビルの構造がよく分かる。
 『ダイハード』では、内装工事中のオフィスフロアで、間仕切り壁を設けるための軽鉄フレームの中で、主人公とビルを占拠したテロリストたちが銃撃戦を交わせる。
 ビルの外にものを落とすため、主人公の刑事がカーテンウオールのガラスを割ろうとするが、椅子を叩きつけてもなかなか割れないあたりがリアルだ。
 東日本大震災でも、グラグラ揺れた超高層ビルで1枚もガラスが割れなかったように、超高層ビルで使用しているガラスはちょっとやそっとで割れたりはしない。
 刑事は空調ダクトを駆け巡り、テロリストの追跡から逃れる。

 『タワーリングインフェルノ』では、設計よりスペックの低い電気配線を用いたことが火災の原因として描かれる。
 火災を消火するために、最上階にある貯水タンクを爆破する。
 
 共通点があるからこそ、違いも目立つ。

 まず『ダイハード』では、善人がほとんど死なない。テロリストは次々と死ぬし、主人公を裏切る知り合いがテロリストに銃殺される。冒頭、ビルオーナーの日本人経営者が殺される。
 しかしそれ以外には、生々しい「死」はない。

 『タワーリングインフェルノ』では、エレベーターで逃げ出そうとした人たちが焼け死ぬ場面が、かなり早い段階で見られる。
 秘書と情事に耽っていたビルの広報部長が火だるまになったり、ビルからロープ伝いに脱出を図る女性が墜落死したり、悪人と善人とを問わず火災に巻き込まれてしまう悲劇が連続する。
 特に名優フレッド・アステア演じる詐欺師と恋に落ちる富豪の女性の死は切ない。
 鎮火後、女性を探すアステアの哀切を漂わせる表情が、このパニック映画に深みを与える。
 そういえば同時期に大ヒットしたパニック映画『ポセイドンアドベンチャー』でも、初老の女性が死に、神父さえ海に飲み込まれたっけ。
 善人も死ぬものなのだ。
 
 『ダイハード』は脚本の出来もアクションも、圧倒的に『タワーリングインフェルノ』より上に思える。
 上映時間が2時間超であることを覚えている観客はほとんどいないのではないか。手に汗握り、あっという間に終わる。
 しかし、登場人物に何ら葛藤はなく、悲劇が全く描かれない。
 善人は死なないものなのだ。

 良し悪しではないが、決定的な違いに思えた。
 1974年に公開された『タワーリングインフェルノ』と1989年に公開された『ダイハード』。
 15年間で米国映画が変わったことは、葛藤と悲しみの有無かも知れない。
 

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