罪と罰日記 6月21日 「渡る世間は鬼ばかり」か?うかつな家族が決裂する
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を少しずつ読む度に、少しずつ感想を書いていく日記(2008年に書いたものです)。
さて、主人公ラスコーリニコフの妹、ドーニャの婚約者ルージンまで登場してしまった「罪と罰」。
陰惨な殺人事件から、まるで「渡る世間は鬼ばかり」のような、家族騒動に場面転換します。
なにせラスコーリニコフ、出会ったその日からルージンに喧嘩売ってますからね。
ドーニャと母親プリヘーリヤがいてもおかまいなし。
およそ妹の立場を考えているとは思えない罵倒ぷりです。
そもそも、母親の手紙の内容をルージンに伝えちゃうのもどうかと思う。
「金のある私と結婚した方が今よりいいだろ」、とルージンに暗にほのめかされたようにプリヘーリヤは感じたわけですが、まあ思い込みかもしれないし、あくまで推測の域を出ないんだけど、と慎重に書いてるのに、息子ラスコーリニコフはその推測を、ルージン本人に話しちゃうんだから、こじれないものもこじれちゃいますよ。
ラスコーリニコフ、物語全体を通して、どうもずさんです。
よせばいいのに(物語全編、よせばいいのにの連続です)、ドーニャをたぶらかそうとしたスヴェドリガイロフの話題をルージンは口にします。
一同どん引き状態で、よせばいいのにラスコーリニコフは、スヴェドリガイロフと会ったと打ち明け、よせばいいのにドーニャに何かを申し出るとスヴェドリガイロフが言っていたことまで話しておきながら、何を申し出たかは隠すんです。
そりゃルージン、愉快じゃない。いや不愉快だ。
で、兄貴ラスコーリニコフがいかに自分を侮辱しているか、もはや改善できないほど関係は悪化している、ラスコーリニコフか私か、どちらを取るのか、とよせばいいのにドーニャに迫るわけです。
するとドーニャ。切れちゃいます。
「あなたを人生にとって最も大切なものと同等に考えていたのに、それでも足りないと言うのか」と怒るんです。
ここの論理が、あるいは論理の正当性が、どうも私にはわからない。
ルージンがかわいそうじゃないかと思うのですが、ラスコーリニコフ、「無言のまま、毒のある微笑みを浮かべた」りします。
かわいそうなルージン。母親プリヘーリヤに、「あの手紙はあなたにあてたのであって、ほかの誰かにあてたものではない」という、21世紀の日本においてはしごく常識的なことを訴えるんですが、母プリヘーリヤもまた逆切れします。
「まるで支配しているような口ぶり、許せませんわ」というわけです。
さあ、もう収拾はつきません。掲示板上の喧嘩みたいなもんです。
物語全編を通して常軌を逸したおせっかいやきラズミーヒンまで「君は命知らずのやつだな」などと突っ込みます。なんの権利があって。
ドーニャはついに「あなたは下劣な、心のねじれた人です」とまでルージンに言い切ります。もうだめです。終わりです。
こうしてドーニャの婚約は決裂します。よかったのか?
「罪と罰」。登場人物が皆、過剰で性急でうかつです。
さて、一つにまとまったかに見えたラスコーリニコフ一家。
しかし、ラスコーリニコフは、しばらく別々に暮らした方がいいと言い出します。
そりゃそうだわな。婆さんを斧でめった刺しにした直後だもんな。
しかしわけの分からないドーニャ。「情けなしの意地悪のエゴイスト!」とまで兄をののしります。
おせっかいやきのラズミーヒンは「あいつは情けなしなんかじゃない。気が変なんだ。気違いなんです」と、ラスコーリニコフをたててるんだかけなしてるんだかわからないことを絶叫します。
結局、部屋を出て行くラスコーリニコフ。誰かが部屋に入ったり、出たりするばかりの「罪と罰」岩波文庫版中巻258ページ。
ラスコーリニコフはこれからどうするつもりなのか。さっぱりわかりません。
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