窓際で父子は叫んだ 日本アルバイト紀行(6)

旅先:群馬県草津のリゾートホテル
交通手段:鉄道
時給:移動時間も含めて1500円程度
職種:リゾートホテルのレストランの配膳

ホテルのレストランで窓際のテーブルを見る度に、草津温泉で見たある場面を思い出す。
そして、あの父子は今、どうしているだろうと思う。

ホテルやレストランの配膳で、おいしい仕事と言えば「リゾート」だった。
その後、リゾート法の施行で一般的に知られることになった「リゾート」だが、僕は当時、この言葉の意味が分からなかった。ただ、ベテランの配膳たちが夏休み前になると「リゾート」「リゾート」と落ち着かなくなることは知っていた。
しかし、僕ら末端のアルバイトには回ってこないおいしい仕事であることも、なんとなく感じ取っていた。

それはリゾートホテルのレストランでの配膳を意味した。

1989年頃はバブル経済の最盛期。
日本中で誰もが金を使い、使うことにためらわず、使うことを楽しんでいた。
リゾート地も然り。富裕層でなくても背伸びしてリゾート地に赴いた。

人が集まれば食べて飲むことは世の理。レストランやスナックはおらが春を謳歌した。
そのおこぼれに預かったのが配膳の「リゾート」だ。

時給は1500円前後だったと思う。東京駅からの移動時間にも時給がついた。
宿泊場所は準備してもらい、リゾートホテル内の温泉も利用できる。食事もつく。
仕事自体、手順さえ覚えていれば難しいことはない。
お冷やを出して注文を取り、伝票を厨房に回して、できた料理をテーブルに運ぶ。
その繰り返しである。

いつも利用していた配膳会社からは回ってこないことが分かっていたので、別の配膳会社を探し出して電話し、リゾートの仕事を回してもらった。
よほど人手不足だったのか、面接一発で決まった。
ラッキーだと思った。

勤務場所は、草津温泉のリゾートホテルのレストラン。
テーブルが10ばかりある小さな店だった。
配膳は3人。ベテランが1人。アルバイトが私を含めて2人だった。

ホテルの宴会場との決定的な違いは、待ちの時間が長い事。
客が少ない午後は、ずっと立ちっぱなしなのだ。腰を傷めない方がおかしい。

もう1つは注文を取ること。
僕はここで致命的な失敗をした。

注文を取ったら伝票をカウンターに置く。その置く位置の左右を間違えた。
そのせいで、注文の遅い伝票からキッチンに通ってしまい、早く注文した人の伝票が全然通らないという事態を生んでしまった。

注文が通らず待たされた家族のおじいさんが怒ったこと、怒ったこと。
翌年、僕は同じ配膳会社からリゾートのアルバイトを断られた。厳密には、「うち(その配膳会社)が外された」そうだ。

初日に大失敗したものの、人手不足の折いきなり馘にはできなかったのだろう。
1週間の仕事を僕は全うした。

ある日、窓際の小さなテーブルに父子が座った。
こういう言い方は失礼だが、高級なリゾート施設には似つかわしくなかった。
確かメガネをかけたお父さんが安っぽいブルゾンを着ていたように記憶している。
注文したのはサーロインステーキ。
12〜13歳の息子は、「こんなにうまいもの、初めて食べた」と叫んでいた。
するとお父さんも「そうかっ、うまいかっ」と絶叫している。

心を打たれた。
息子の喜ぶ様子を見て、嬉しくて嬉しくてたまらない父親の表情に感動した。
ほとんど初めて注文したに違いないステーキに喜んでもらえた父親の、息子への愛情が飛び込んできたように思えた。

今でも窓際の小さなテーブルを見ると、あの父子が座っている姿が映る。
今頃は、息子が父親におごっているだろうか。

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