見出し画像

『いまを生きる』から想像もできないストーカー映画『恐怖の訪問者』

 ストーカーへの嫌悪や不安を描いた映画と言えば、例えばスティーブン・スピルバーグの『激突!』がある。

 たまたま追い越したトラックに執拗に追いかけられる中年男の不安と恐怖だけで、約1時間半を見せてしまう。

 観た人は分かる通り、あらすじというほどのものもない。単なる親父とトラックの追いかけっこだ。でも最後まで運転手が姿を見せないトラックの不気味さは忘れがたい。

 たまたま拾ったヒッチハイカーに、これまた執拗に追いかけられる映画『ヒッチャー』も、こうしたストーカーを描いた代表作だ。『激突!』ですら、刺激とショック度において『ヒッチャー』の比ではない。

 これが出世作となったルドガー・ハウアーが、観た人にトラウマを残すほどの残酷さを発揮。主人公の人生を破壊してしまう。

 上記2作が出先での出来事なのに対して、日常生活に侵入するストーカーはさらに性質が悪い。だって逃れようがないんだもん。ストーカーから逃げ切るためには、引っ越したり職業を変えたり、日常を変えなくてはいけない。

 ラジオのDJにまとわりつく偏執的なファンを描いたクリント・イーストウッド監督の『恐怖のメロディー』はその典型だし、よく知られているはずだ。

 しかし、『いまを生きる』で知られるピーター・ウィアー監督が、この『恐怖のメロディー』に近い、『日常破壊ストーカーもの』を撮ってるとは知らなかった。しかも、かなり極上の出来だ。

 映画『ザ・プラマー/恐怖の訪問者』がそれ。主人公は人類学の女性研究者。大学の教員寮で夫と二人暮らしだが、そこに邪魔者が侵入し始める。

 一見温厚だがとらえどころのない配管工だ。ボブ・ディランに心酔するフォーク歌手志望のこの配管工。

 洗面所を無茶苦茶にするわ、「レイプで刑務所に入ったことがある」などと冗談なのか本気なのか分からんことを言い出すわ、ギターを持ち込んで唄い出すわ(案外悪くない)、その外し方がオフビートに不気味だ。

 主人公は配管工から逃れようにも逃れられない。だって、トイレと風呂が使えなくちゃ生活できない。具合の悪い(配管工が意図的に壊したとも受け取れる)給排水の配管を生かすも殺すも、配管工にかかっている。

 暴行も殺人も、銃撃も爆発もない。せいぜいがハンマーでコンクートの壁をくずすだけ。

 それにもかかわらず、日常を破壊される主人公の不安や苛立ち、恐怖がひたひたと伝わってくる。

 そして主人公はある決断をする。

 『いまを生きる』のヒューマニズムを期待したら、肩透かしどころか裏切られること請け合いだ。狂っているのは配管工なのか、主人公なのか。その判断も観る者に預けられる。

 その居心地の悪さが後を引く。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?