震度5なんか耐えられない! 日本アルバイト紀行(3)
旅先:千葉市の震動実験装置のある部屋
交通手段:徒歩
職種:原子力発電所のための人体実験
時給:600円
メガトン級に変わったアルバイトといえばこれをおいて他にはあるまい。原子力発電所のための人体実験である。
時給は600円。80年代後半でも格段に安い時給だった。しかし、場所が大学の裏手で授業の合間を有効活用できることと、アルバイトの内容の面白さにつられて飛びついた。
内容は、「コンピュータの画面に映る文字を、キーボードで入力すること」だった。ただし「震動実験装置の上で」という条件付きである。
僕が通っていた大学の裏手には、最大手国立大学の研究所があった。そもそも、大学の敷地自体、その最大手大学から譲り受けたものだから、元はつながっていたのである。
敷地内には掘っ立て小屋が並んでいて、昭和30年代にタイムスリップしたようだった。そこへコンクリートと金属の建造物が唐突に現れた。そこがアルバイトの場所だった。
迎えてくれたのは2人。西多摩地区の奥から千葉まで通っている技官のTさん。20代後半くらいだったろうか。もう1人は最大手大学で助手を務めるHさん。50歳前後ではなかったか。
Tさんはごく細で柔和。
「国からの予算だと時給460円しか出せないんだけど、いまどきそれじゃ誰も来てくれないから、実働時間を割りまして600円になんとかします」
と説明してくれた。
「コンピュータのキーボードには慣れていますか?」
と聞かれて、いや触ったことはありません、と答えるとぎょっとされた。が、まあすぐ慣れます、と第1回の準備にとりかかった。
人工的に地震を起こす震動実験装置に、パソコンが乗せられた机とキャスター付きの椅子があった。僕はそれに座り、体中に心電図を測るためのチューブをつけられた。
「原子力発電所は、基本的にキーボードで操作するんです。所員の方々が、地震発生時に操作できるか、そのときどんな状態になるか、という実験です」
ふうむ、そんなこともあるのか、と感心しながら、震度1と震度2をクリアした。キーボード操作もじき慣れた。なんか、こんな他愛もない実験でよいのか、と拍子抜けすらした。
休憩時間には、「バイト代出せない代わりに」といってたくさん茶菓子が出た。「にしきの」ってせんべいが好きだったのでちょっとうれしかった。
茶菓子を食べながら、2人はひとしきり愚痴り始めた。(通り過ぎる旅人みたいなバイトには、誰しも愚痴りやすいようで、その後も度々経験することになる)
「公務員は楽だって言われるでしょ。とんでもない。僕ら国家三種の公務員なんかこき使われますよ。西多摩から通ってますからね、ここまで、往復4時間はかかる。それでこの3カ月休みなし。いやになりますよ」
と話すTさんは、Gパンの上にTシャツだったが、自然ちびTといったところか、へそが見えていたのをなぜだかよく覚えている。
Hさんもずっと愚痴っていた。
「妻も研究職なんですが、えっ、一緒の仕事で共感できることがあっていいって?冗談じゃない、家に帰っても競争相手がいるようなもんですよ。いつまで助手なんだってせかされて、職場も競争、家でも競争、落ち着く場所なんかありません」
とため息をついていた。僕は、国家公務員や大学研究職なんて、一見楽で楽しそうに思える職業が、決して学生がイメージするほどでないことを知った(後年、広島大学の助手が、研究室の教授を「自分の出世をさまたげている」と逆恨みして殺した事件があったが、まっ先にこのアルバイトで聞いた話を思い出した)。
実験の方は震度3あたりから怪しくなってきた。問題はキャスターである。キーを打つより、安定して座っていることが困難になるのだ。
震度4で文字を目で追うのが辛くなってきた。まず机が揺れている。そもそも自分が揺れている。机にしがみついて文字を追いかけても、追い付いたときはすでに次の文字が表示されている。
震度5で僕は観念した。それは既に字ではなかった。線だった。縦横無尽に揺れる線であった。キャスター付きの椅子に座って、机にしがみつくチューブだらけの僕は、冷や汗を流し、顔をしかめ、声を震わせて、す、すみません、止めて下さい、と制限時間前にタオルを投げた。恐らくは貧血だったと思う。船酔いにも似た症状だった。
大丈夫ですか?と2人はえらく心配してくれた。大丈夫じゃなかった。
僕は、震度5なんか耐えられない、と思った。
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