クリシュナについて話すことは、全てキールタナ
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常に私を想い、私の献身者となり 私を崇拝し、私に敬意を捧げよ。(BG 18.6)このようにするのが瞑想とおっしゃっています。
でも、それって難しい!
で、キルタンがある。
キルタンもあるし、経典を読むのもキールタナだよとおっしゃっています。
↓
シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴
"プロセスは、どのようにクリシュナのことを考えるかです。
man-manā bhava mad-bhaktaḥ ([[Vanisource:BG 18.65 (1972)|BG 18.65]]).
これが瞑想です。
ですから、このキールタナによって、とても簡単になります。
あなたがハリダーサ・タークラのように
24時間ハレー・クリシュナ・マハー・マントラを唱えることは、
不可能です。
だから、あなたができる限り、唱えて下さい。
Tīrtha-yaśasa.Kīrtana
これもキールタナです。
私たちはクリシュナについて話し、クリシュナについて読み、
『バガヴァッド・ギーター』にあるクリシュナの教えを読み、
『シュリマード・バーガヴァタㇺ』にある
クリシュナの栄光について読んでいます。
これらは全てキールタナです。
単に楽器を使って歌うことだけがキールタナなのではありません。
いいえ。
です。"
vanipedia.org/wiki/JA/751027b_講義_-_シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴_ナイロビ
"The process is how to think of Kṛṣṇa., man-manā bhava mad-bhaktaḥ (BG 18.65). This is meditation. So this . . . by kīrtana it becomes very easy. If you chant Hare Kṛṣṇa mahā-mantra twenty-four hours like Haridāsa Ṭhākura . . . that is not possible. So as much as possible. Tīrtha-yaśasa. Kīrtana . . . this is also kīrtana. We are talking about Kṛṣṇa, reading about Kṛṣṇa, reading Kṛṣṇa's instruction in the Bhagavad-gītā or reading Kṛṣṇa's glories in the Śrīmad-Bhāgavatam. They are all kīrtana. It is not that simply when we sing with musical instruments, that is kīrtana. No. Anything you talk about Kṛṣṇa, that is kīrtana."
751027 - Lecture SB 03.28.18 - Nairobi
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