ゲ謎を見て思ったこと

私はどうも「昭和」で育った疑惑があるし、親戚は少し因習村だった。

※映画の感想はありませんがネタバレを含みます

私は一桁台とはいえ、平成の生まれだ。
昭和という時代を全く知らない。知らないはずだ。

しかし「『昭和』が良く再現されている」と評価の高いゲ謎を見て、私の周りの大人達、具体的に言えば親と親戚たちはまさしくこの通りであったと思い出した。

■周囲の大人たちが当たり前に煙草を吸っている
子供が咳をしようがお構いなし。
SNSによると当時の大人は「子供が火に触らないように」だけが注意事項だったらしい。

これは、そうだった。
子供がいるから換気しようとか、少し離れて吸おうとか、そういった気遣いはなかった。
親戚集まりの席で妊婦がいても同様だった。というか妊婦本人も吸っていた。

ただ、私の話は戦後の作中と違って1990年代の平成の話だ。
とうに煙草の害は知られていて、街にはまだ喫煙設備が当たり前に溢れていて禁煙が珍しいくらいではあったけど、体に悪い程度のことは知られていたはずだ。

これは私が実家と縁を切るまで継続されていた。
私が咳き込もうが、クラスメイトに臭いと言われようが彼らにとっては当たり前の習慣だったのだろう。

■本家的な場所で親戚一同の改まった席があった
これもそうだった。
年始には親戚一同が集まり飲みかわす……これ自体は地方でよくある光景ではあろうが、あるにはあった。
豪邸ではないが続き間に出来る和室があり、先祖代々の遺影が並んでいた。

これはもう平成が20年ぐらいになる頃には高齢化と共に廃れていった。
葬儀の席などには序列があったように思うが、それよりずっと早く私が集まりに行くのを拒否したのであまり覚えがない。

出席を拒否したのは行くと母親からだいたいひどい扱いを受けるからだ。
この頃の私は花粉症がひどく、親にもそれで病院に連れていったり薬を使う発想がなかったから、常に鼻汁とくしゃみに悩まされており、それが表向きの理由だった。

今から思えば親戚達は私にかなり助け舟を出してくれていたが当時は気付かなかった。
母親がそのような扱いをしたのは、自分の序列が下位にあり、嫁の自分は下位の嫁らしく親戚一同に対して甲斐甲斐しくあらねばならないと考えていたのだろう。

ただ、親戚側からのそういった強い上下関係の強制は無かったように思う。
古式ゆかしく「女は炊事、男は宴会」ではあったが、ある程度場が出来上がると男女共に談笑し、酒を飲むような和気藹々とした間柄だった。
「女だから」酒や料理を持ってこいという態度の大人はいなかったが、率先して手伝うような気遣いもないから女が働く、そういう古い当たり前だった。

2000年頃には仕出しに切り替えるなど、本家宅は時代に伴って変化する価値観を持っていた。
そういう意味で彼らは「昭和」ではなく、我が家だけが「昭和」を残していった。

■近親の子供を産んだ人がいた
これは遠縁で先の本家の集まりに来る人ではなかったのだが、いたと聞かされた。
母親に聞かされたのが十歳にならないくらいの頃だから、つまりどういうことなのか理解できなかったし、それが恋愛とされるものなか乱暴によるものか意図あってのことかなどは流石に語られなかったが「結婚しちゃいけない相手の子供を産んだ人がいる」ぐらいの認識をした。

だからまぁ、こういうことは大々的に言っちゃいけない隠すことだけど、昔はよくあったんだろうなと思っていた。
その「昔」は私の生まれる少し前、1980年代ぐらいまではあったし、まだイエ制度が根強い作中のような時代なら特に憚ることでもなく、彼女は少々若すぎる気もするが世継ぎのためならしばしばあることだろう。
もちろん児童虐待にあたるが、村の強固なしきたりの一部としては特に違和感がない。
そういう認識だった。

だから戦後の「昭和」がよく再現されているという評判の今作の主人公、水木の反応にはとても驚いた。
彼は事実を知って嘔吐する。

「彼が彼女に惚れていたのでショックを受けた」というようなことなら理解できる。
しかし彼は彼女に対して一貫して子供に対する大人、それも言い寄ってくる気の毒な娘に(少なくとも男女としては)良識を持って接する態度を取っていた。
彼は彼女の駆け落ち同然の申し出を受けはしたが、恋仲になることを望んだからではなく、情報の取引と「自由」の提供のためだろう。

だから私はその嘔吐を少女の悲惨な身の上にショックを受けたのだと理解した。

ショックを受けるようなことなのか、それは。
彼は当事者ではない。現場を見たわけでもない。ただ情報を聞いただけだ。
戦争を生きた人であるから、それなりに酷いことも見聞きしていただろう。

人間として彼女と良好なかかわりをもっていて、彼のキャラクター性を示すエピソードであるからというには嘔吐という反応はあまりに派手だ。

……と、いう感想をあまり見なかったので、私が思うよりもずっと吐き気を催す邪悪な出来事らしい。
善悪の認識は持っていても、こういった特殊な事態に対する精神的な反応は分からないことが多い。

ところで十歳未満の娘に、ほぼ全く会いもしない相手のそんな情報を聞かせた母親、今から考えるとかなり倫理がどうかしている。
幼稚園の頃の件もあって、母親は私に対して既に認識のズレがあったのかもしれない。

フィクションで取り扱われる「因習」村では超常的な物事や計画に対する秘匿や達成を目的として「因習」が生じているように思う。

けれど、伝統や暮らし方や常識の変化を拒み、再検討を放棄するような態度があってこそ継続出来るものでもある。
「因習」という熟語その意味なら「上層部が強権を振るう全国チェーンのパワハラブラック企業」だって因習企業である。

田舎住まいの親戚達が時代に即して変化していった一方、街で暮らす私の実家は因習を続けていた。おそらく今も続けている。

因習村というのはつくづく人の態度の問題である。

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