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ジャニーズ問題 元ジャニーズjrの物語

最近、街録と言うユーチューブチャネルで元ジャニーズjrの加藤大空氏のインタビューを見ました。彼は大島氏や飯田氏など今まで元ジャニーズjrとしてインタビューを受けた人と違って1年半の在籍で2回ほどしか被害を受けていなかったようです。元々ジャニーズに興味があった訳ではなく母親が勝手に応募したことで入所したもののデビューを目指す気もなかったので練習にも熱が入りませんでした。そしてジャニー喜多川にいたずらされると練習もさぼるようになり母親の説得でいやいや戻ったこともあったらしいです。それでも1年半在籍し続けたのはキンキキッズの堂本光一から声をかけられて嬉しくなったからだと言っていました。ジャニー喜多川は母子家庭で育った子供とか地方の子供などを狙い、性格的にはきちんと返事が出来て裏表のない素直な子をターゲットにしていたそうです。言い換えればお泊りがしやすい環境にいてジャニー喜多川に対し素直で人に告げ口をしない子を意識的に選んでいるわけで極めて卑劣です。その点加藤氏の場合、製粉関係の事業やラーメン屋を経営する裕福な両親のもとで育てられ、性格的にも格闘好きのヤンキーだったようでジャニー喜多川の選択基準とはだいぶ違っていました。ジャニー喜多川に襲われた時も他の子供がされたのようなマッサージから徐々に始まる行為ではなく、いきなりジャニー喜多川がズボンを脱いだ気がするとおぼろげな記憶を話していました。やはりジャニー喜多川にとっては苦手なタイプだったようです。彼のジャニーズ事務所での経験は12才か13才くらいのことで、その後の人生にどれだけの影響があったのかは想像がつきません。しかし彼自身は完全にふっ切れているようで「ジャニーズ性加害当事者の会」にも参加する気はないと言っていました。

ただ彼自身の半生は波乱万丈でとても興味のあるものでした。暴走族の兄貴分に言われるまま街金の世界に入ると見る見る頭角を現し、一時は1億円を超える年収があったそうです。しかしヤクザに上納する金を誤魔化したことから狙われることになり、ニューヨークへと国外逃亡しました。マンハッタンでは日本人専用のキャバクラのボーイをやっていたそうで、ひょっとすると私が行ったことのある店だったかも知れません。(余談ですがマンハッタンにはキャバクラらしい店も多いのですが正確にはキャバクラではなく「会員制クラブ」で、中には中村勘三郎の親戚が経営する高級店もありました。)その後、彼は日本に戻ってホストになりますが、そこでもお店のナンバーワンになるほどの人気だったそうで、かなり稼いだのだと思います。数年でホストを辞めると今度は投資用マンションのセールスマンとなり年収も1200万円とサラリーマンとしてはそれなりの高給を得ていました。しかし、決して褒められるような投資物件でないことを本人はよく自覚していて、虚しさを感じたのか、それとも後ろめたくなったのか、7年続いたセールスの仕事も辞め、自分探しの旅に出ることになります。そして小樽に立ち寄った際、生まれて初めてと感じるほどの美味しい餃子に出会いその虜になりました。ホスト時代に色々な高級店で美味しいものを散々食べて来た彼がその餃子ほど美味しい食べ物は他にないと熱く語っていました。彼はそのまま小樽に残ると餃子屋の主人に必死に頼み込んで半年間そこで修行をさせてもらいました。料理の経験など全くなかった彼はキャベツの切り方を始めに餃子の作り方を一から学んだそうです。

彼には子供の頃からの親友がいて、その親友に自分の餃子店を持ちたいという夢を語るとすぐに協力すると言ってくれたそうです。そして二人三脚で肉やキャベツなど自分の餃子に合う素材を求めて日本中を巡り、ようやく満足する餃子を作り上げると小さな餃子専門店を開業しました。ちょうどコロナ禍でもあった為、持ち帰り専門の店で一皿500円のジャンボ餃子だけを販売しています。ところが開店してすぐの頃、他愛のないことが原因でその親友と喧嘩してしまい、彼は翌日加藤氏のもとを去って行きました。それ以来彼とは会っていないと言っています。今ではその喧嘩をすごく後悔して彼が戻って来ることを信じて餃子屋を続けていると言っていました。私はそんなことを話す彼を見ていて思わず涙が溢れて来ました。ジャニーズ事務所で人には言えないような経験をし、その後下劣な人物たちと出会い、社会の醜い部分を覗き、あぶく銭による派手な生活を経験するなど普通の人には考えられない人生を生きて来ました。そして最後にたどり着いたのがこの餃子屋です。一皿たった500円の餃子を誇りを持って作っている彼の姿はとても頼もしくそして又とても素敵でした。

ジャニーズ事務所に勝手に履歴書を送った母親は今どんなことを考えているのでしょう?父親は頼もしい息子に製粉会社を継いでもらいたいと思っているのでしょうか?いや!負けず嫌いで「てっぺん」が大好きな彼はきっといつの日か自分の店を行列が出来る餃子屋にすることでしょう。ジャニー喜多川に負けなかった一人の男がここにいました!


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