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ペタンクの茨城県代表は東海村・内宿一区の寿会!選手の横顔に迫る。

みなさん、ペタンクって知っていますかー?
今回は令和5年(2023年)10月に笠松運動公園で開催されたいばらきねんりんスポーツ大会で見事優勝し、全国大会の切符を手にした内宿一区・寿会のメンバーにお話しを伺いました。

今回インタビューに答えてくれた内宿一区・寿会の方々
 ●谷脇 盛雄(たにわき・もりお)さん
  …写真左から2番目
 ●谷脇 亨子(たにわき・きょうこ)さん
  …写真左から3番目
 ●会沢 かほる(あいざわ・ー)さん
  …写真一番右
 ●中沢 正子(なかざわ・まさこ)さん
  …写真一番左

ペタンクとは?

1チーム3人で構成され、ビュットと呼ばれる目標球に、金属製(650g~800g)のボールを投げ合い、相手より近づけることで得点を競うゲームです。世界各国に愛好者がおり、世界大会も開催されている国際的なスポーツです。

練習風景。毎週火曜日に集会所で練習しています。

点数の付け方や投球方法、反則行為など細かくルールが設定されていますが、基本的には、どれだけ目標球の近くにコントロールして投げられるかというシンプルなスポーツで、小さな子どもから高齢者まで、”誰でも”、”すぐに”楽しめるよう工夫されています。30分の制限時間制で行われますので、テンポよくスムーズに進行していき、高齢者にも負担にならないよう配慮されています。

日本全国の高齢者プレイヤーが目指す最高峰の大会「全国健康福祉祭(愛称 ねんりんピック)」

全国健康福祉祭(愛称:ねんりんピック)は、スポーツや文化種目の交流大会を始め、健康や福祉に関する多彩なイベントを通じ、高齢者を中心とする国民の健康保持・増進、社会参加、生きがいの高揚を図り、ふれあいと活力ある長寿社会の形成に寄与するため、厚生省創立50周年に当たる昭和63(1988)年から毎年開催しています。

厚生労働省ホームページ

60歳以上の高齢者を対象に毎年開催されるねんりんピックには、市町村や県の大会を勝ち上がって選抜されたチームが出場することができます。

令和5年(2023年)は愛媛県で開催され、ペタンクやグランドゴルフ、クロッケーなど20市町で29種目が行われました。

今回お話を伺った内宿一区・寿会は、令和5年(2023年)に開催された東海村・茨城県の大会で見事優勝し、令和6年(2024年)10月に鳥取県で開催される「ねんりんピックはばたけ鳥取2024」への出場権を獲得しました。

まずは、出場権を獲得するまでの軌跡に迫っていきましょう!

激闘の連続。思いもよらないアクシデントも…。

東海村の大会「春のスポーツ大会」は、令和5年(2023年)5月8日に東海村総合福祉センター「絆」の芝コートで開催されました。村内各地区の代表14チームが出場し、それぞれが3試合ずつ対戦し、勝ち点や得失点差で順位を決めていきますが、内宿一区・寿会は見事優勝し、東海村の代表を勝ち取りました。

茨城県大会となる「いばらきねんりんスポーツ大会」は、令和5年(2023年)10月3日に笠松運動公園の野球場で行われ、県内各地から市町村を代表する精鋭36チームが出場し、予選はリーグ戦方式、決勝は予選を勝ち上がった8チームによるトーナメント方式で行われました。

我らが内宿一区・寿会は、予選ラウンドで、牛久市のチームに5-0、鹿嶋市のチームに6-5と連勝し、決勝トーナメント進出を決めました。
決勝トーナメントでもその快進撃は止まらず、決勝戦で、強豪・中根ときわ会クラブ(ひたちなか市)を5-2で破り見事初優勝の栄冠を勝ち取りました。

大切に保管されていた勝ち上がりを書き込んだトーナメント表

その歓喜のストーリーの裏で、思いもよらないアクシデントに見舞われ、涙なくしては語れない物語が生まれていたことも今回はみなさんにお伝えしたいと思います。

絶体絶命の大ピンチ!

※プライベートな内容も若干含まれますが、この2人がチームにいたからこそ、今回の全国大会への切符を勝ち得ることができたと思っており、感謝の気持ちと、一日でも早い回復を祈って今回記事にしました。

東海村の大会では、谷脇夫妻と生田目 篤(なまため・あつし)さん、そして補欠中沢さんの4人でチームを組んでいました。迎えた茨城県大会は、中沢さんの代わりに会沢さんが補欠で臨みましたが、予選を勝ち上がった直後、生田目さんが体調の異変を訴え、試合を継続できなくなったのです。

全員の頭に棄権もよぎりましたが、補欠の会沢さんが出場することで、決勝トーナメントを戦うことができたのです。本当に不運の偶然と幸運の偶然が重なりました。

ここで今回の物語の中心となったおふたり、生田目さんと会沢さんを紹介させてもらいたいと思います。

生田目さんは、昭和9年(1934年)生まれで今年90歳を迎えます。
日立市の土木内出身で、水戸一高、茨城大学教育学部で勉学に励まれたそうです。本人によりますと、毎日、自宅から東海駅までの約10kmを自転車で通ったそうです。当時の国道6号線は、砂利敷きで舗装されておらず、10kmという距離も加えて、毎日大変な思いをしながら通学していたことが想像されます。

卒業後は、教員として太田一高や那珂湊ニ高(現那珂湊高校)等で教鞭を取り、以来38年間勤め上げたそうです。ご結婚後、東海村に住居を構え、退職後は、それまでの経験を生かし、地域の発展にご尽力されました。

自治会役員として地域活動に携わる傍ら、東海村高齢者クラブ連合会で、会長職8年を含め12年間もの長きにわたりご活躍されました。在籍中は、事務局の充実、クラブへの積極的加入の促進、グランドスポーツの導入と展開、各種芸能・芸術大会の実施等幅広く活動され、その功績は大きく、誰からも尊敬されるお人でした。

今回インタビューを受けてくれた全員が口をそろえて、「今回勝ち上がれて全国大会に行けるのは、全部生田目さんのおかげ。生田目さんがチームを作って、みんなにルールやコツを教えてくれたから」とお話ししてくれました。

病名は伏せさせていただきますが、現在も療養中で一日でも早く回復され、再び仲間たちと一緒にプレーできるが日が来ることを祈ってやみません。

前列左、黄色いシャツを着た方が生田目さん

次に、急遽チームに加わりピンチを救った会沢さんも紹介します。70~80歳台が中心と言われる高齢者クラブに、彼女は、なんと、50歳台の後半に、高齢者界の”わかもの”として入会しました。

以来、持ち前の優れた運動能力と、誰とでも親しくなれるコミュニケーション能力を生かし、みんなのアイドル・中心的存在として、内宿一区に留まらず東海村のグランドスポーツの先頭に立って走り続けています。

一番右が会沢さん。インタビュー中も元気な声が響き渡っていました。

最後に、全国大会への意気込みを聞きました

私たちは、みんなで元気に集まり、ゲームを楽しみながら、何気ない会話を交わせる関係を大切にしています。和気あいあいが一番です。

今回幸運にも全国大会に出場しますが、その気持ちを忘れず鳥取の地でも、”仲間との時間”を楽しんできたいと思います。でもきっと、試合が始まったら、勝負師の血が騒いで、意地でも勝ちたくなっちゃうと思いますが…(笑)

日本全国、一人でも多くの高齢者が、健康の維持と老化防止のために、こういった活動に参加できる環境と、仲間の輪が広がっていくことを私たちは願っています。

みんなで過ごす時間が一番好き。

取材を振り返って

今回は茨城県代表になった地元のペタンクチームをみんなに知ってもらいたいと取材を進めましたが、思いがけず、その栄光の裏側で直面していたアクシデント、そして深い絆で結ばれた人間模様に触れることができました。

インタビューにご協力いただいた方々は、私も含め、この地区のグランドスポーツ(クロッケー・グランドゴルフ・ペタンク)のプレー仲間なので、いつも通りのリラックスした雰囲気の中で、一部プライベートにも触れるようなお話しまで聞くことができました。ご協力ありがとうございました。

私は、この連載企画を通して、東海村で活動している”人”に焦点を当てて、少しでもたくさんの人にその想いを紹介したいと思っています。今回の取材はその想いを形にすることができたのではないかと思っています。今回の取材にあたって協力頂いた方々に、この場をお借りして御礼申し上げます。これからも取材活動を続けてみなさんにより多くの想いを届けていきたいと思います。

▼取材・執筆・撮影担当者

田中克朋/取材・執筆・撮影
秋田県鳥海山の麓に生まれ、就職を機に茨城県へ。東海村には50年近く在住。会社員時代にタイ王国へ出張も含めて通算8年ほど駐在し、現在も現地の人たちと交流をしている。趣味は写真をベースにインスタグラム等のSNSで村内の風景を発信すること。「T-project/東海村スマホクリエイターズLab.」では若い世代に教わりながら楽しんでいます。

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