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小さな失敗、大きな経験。(少年野球の臨時コーチをした時の話)

土曜日の正午、友人(野球部時代)から急に「桐やん何してる?今日、俺が指導している少年野球チームが桐やんの住んでる学区のチームと練習試合するんやけどコーチしにこない?」とLINEがきた。
コーチしにこない?とはまた新しい誘い文句だなぁと思いながら、特にすることも無かったので行くことにした。「スポーツできる服装で来てね!」とのことでUNIQLOのドライスウェットパーカーとジョガーパンツを着て自転車でグラウンドへ向かった。残念ながらグローブは実家に置いてあるしスパイクも当然無かった。

挨拶は大切

僕がグラウンドに着くと少年野球の子たちは「お願いしまっす‼︎」と大きな声で僕に挨拶をした。すでに友人が僕のことを臨時コーチとして紹介していたようだ。大きな声で挨拶をされるのは嬉しかったし気持ちがよかった。なので僕も当時のことを思い出し「おざす!よろしくお願いします!」と大きな声で挨拶をした。とても気持ちがよかった。
僕は休み明けからの仕事はもっと大きな声で挨拶をしようと思った。上司の中には挨拶をしても、顔を見ずに「うっす」と小さい声でしか返事をしてこない奴もいるけれど、気にせずに大きな声で挨拶をしてやる。

小さな失敗、大きな経験

不意に出たアドバイスが↑だった。
僕の友人は笑いながら「もっとテクニック的なアドバイスしろよ。まあでも桐やんらしいわ。あいつ笑顔になったから大丈夫だな。」と話した。
少年は次の回ではしっかりと外野フライをキャッチした。周りのメンバーも「ナイキャッ!」と盛り上げていた。
僕自身、もっと「外野フライの取り方、落下点までの走り方」なんかを経験に基づいたアドバイスをしたかった。けれど、それ以上にエラーをした少年が「野球を嫌いになる」ことや「どんな時でも失敗を恐れるようになる」ことを避けたかった。
それはある意味では僕自身に言い聞かせるように伝えた言葉だったかもしれない。
僕の持論にはなってしまうけれど、人って失敗しない限り反省も改善もしない気がする。

小さな失敗、大きな経験。

僕も数多くの失敗をしてきた。いや、大きな経験をしてきたのだ。中には僕が離婚したことを失敗と呼ぶ人もいるけれど、僕にとっては大きな経験だ。
諦めるまで失敗は無い。全ては経験だ。
だからこそ何も恐れる必要はないのだ。恐れているのは自分が失敗して恥ずかしいという強迫観念のようなものだ。
大丈夫、日に日に良くなる。動き続けていればその失敗は大きな経験になる。

人にモノを教える、伝えるのは難しい

試合は負けてしまった。練習試合とは言え負けるのは悔しかった。
少年たちは僕に向かって「ありがとうございました!」と大きな声で挨拶をして帰って行った。
というか、応援に来ていたご両親などの車に乗り込んでいった。僕は友人に夜ご飯でも食べようかと誘ったけれど、「嫁と子どもが待ってるから帰るわ」と行ってそそくさ帰っていった。

他のコーチとも少し話をした。
「桐崎さん、これからもたまに来てくださいよ。子どもに色々アドバイスをするのは難しいけど勉強になりますよ。」と言われた。
たしかに人に何かを伝えるのはとても難しい。そして的確なアドバイスかどうかも定かではない。
少年野球のコーチすらも経験なのだと思う。

僕は帰りにコンビニでビールを買って残りわずかな週末をどう過ごすか考えながら明るいうちに酔っ払っていた。

これからもあらゆる経験をしていこうと思う。

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