昨日は終戦記念日でした。

おばあちゃんから聞いた当時の話をしたいと思います。去年書こうと思ってたけど文章考えてるうちに胸が詰まって書けなかった。今年は記録として残したいと思います。


私の母方の実家は世田谷区経堂にありました。今は売ってしまったので、おばあちゃん家は無いです。経堂にある商店街で商売をしていました。

母は5人兄弟の末っ子。上の4人は男子でした。1945年は母は2歳でした。世田谷区はまだ畑や林、小川があって見晴らしが良く都心まで見えたそうです。東京大空襲があった日、飛行機が飛んでいておばあちゃんは避難警報がなり新宿や渋谷方面は赤く燃えてたと言ってました。おばあちゃんは母を背負って上の兄弟達を連れて多摩川方面を目指しました。近所の商店街の方々も着の身着のまま逃げたと言います。多摩川までは約3kmあり母を背負って3km歩くのは大変だったと想像できます。多摩川から川崎まで川を渡り逃げました。多摩川を川崎側に渡れたのも幸いでした。襲撃が終わり家に戻った時は経堂の方は空襲は大丈夫で家は残っていました。おばあちゃんは、そこまで話して後は話さなかったです。色々な辛い事があったのは想像できます。おじいちゃんは目が非常に悪く戦争へ行かなくて兄弟もまだ中学生から下は幼かったので家族は全員無事でした。多摩川を通る度におばあちゃんが母を背負って必死に逃げた事を思い出します。これ以上書くと胸が詰まるのでここまでとします。おばあちゃんありがとう。


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