バチェロレッテ福田萌子の結婚行動の考察

<序論>
 バチェロレッテに登場する女性、福田萌子は最終段階で残った二人の男性との交際を拒否した。この事実から考察される彼女の結婚対象となり得る男性像とは、無限の理解者である父親である。そして限りなく父性に近い父親像の男性であっても萌子は最終的な選択段階においては交際を拒否するだろう。
 萌子は究極的に自分自身の自我との結婚をイメージし、異性としての男性は誰でも良いと言う結論になる。

<論述の方向性>
 では何故、福田萌子がこのような結婚行動の帰結となるのか、彼女の一連の行動原則はどのようなもであるのか、それを論述するにあたり、以下の事実確認から得られた前提に立ち論述を展開する。

<事実確認から得られる萌子像>
選択すべき状況で選択を先送りした事実。
選択すべき状況で選択を拒否した事実。
いずれの事実も「相手と真剣に向き合った」「相手の事を考えた」との理由で「自分のパートナーではない」との結論を導いている。
 この結論の外側を構成している論理は「相手の事を思っている自分」と言う言葉を用いて他者への思いやりと言う表層で構築した彼女の自我の「防衛隔壁」である。

 その論理で自我の全方位を覆う事によって、相手から見える萌子の核心部を偽装しているのだ。故に福田萌子の結婚に対する男性像の核たる部分は他者からは容易に窺い見る事が出来ない。そして萌子の強固な自我の中入っているのは無限の理解者であり萌子の理想とする男性である父親なのだ。

<彼女の目的>
 福田萌子の自我が結婚行動と言う行為を行う目的と意味は、彼女の理解者を無限に再生産する事である。

 彼女に対する理解の完成度が低い者は比較的初期に淘汰され、中くらいの理解者は選択が保留される。萌子を極めて高いレベルで理解者した2人の男性は、萌子が意図する「理解者の再生産」の成功と言う結果を得ることが出来た。その事実を彼女が見届ける事により、2人の男性の役割は終了する。

 何故ならば、萌子の当初の目的である「理解者を再生産」する言う事実が達成された事により、次なるステップに移行し、萌子の自我に存在する無限の理解者である父親と、高位の理解者である男性2人の比較的検討が成されるからだ。結果、それに及ばない2人は父親に淘汰されるのである。萌子自身は自我の中にある父親の存在のは気がついておらず、男性を父性として抽象化し、カリスマ化している。

<萌子の防衛隔壁>
 福田萌子は男性をに対して理解者の再生産と放逐を繰り返して、心理面の防衛隔壁の外側に実態としての男性を数多く配置する。
 周辺部に配置された男性の視線は萌子の防衛隔壁に対する方向を向く事により、隔壁から放射される彼女の視線と交差する。結果、ある者はそれを肯定し、ある者はそれを批判する。
 福田萌子の自我は彼女の防衛隔壁を通じて発せられるので、周辺部の男性はそれを受け取ることが可能となる。故に彼女を「理解」可能な対象として捉える事ができる。しかし萌子に接近すればするほど、自我の父親が出す斥力によって前に進むことが出来ない。故に、周辺部の男性は萌子の隔壁で覆われた中にある、彼女の自我を直接見る事はできない。

<防衛隔壁上の男性群>
 残念ながら福田萌子の防衛隔壁の周囲に配置された男性群は自らが主体的に彼女を選ぼうとる事は無意味な行為となるである。
 隔壁の周辺に漂う男性が福田萌子を「理解」したとしても、それは彼女が持つ「防衛隔壁」を理解したに過ぎない。男性群の視線は隔壁で完全に止まってしまう。
 何故なら萌子の防衛隔壁はマジックミラーのように中から見えるが、外からは決して見えないからだ。萌子の視線は限りなく透明化されたマジックミラーを通過し、周辺の男性群を魅了する。しかし男性群は萌子の自我に到達して彼女の比較原器となる父親=父性を窺い知る事ができない。
 その証拠に萌子は最後に残った高位の理解者である男性2人を父親に会わせなかった。これが何よりも萌子の隔壁の内側の自我の性質を物語っている。

<最高位の父親の存在>
 福田萌子の最高位の理解者は父親である。それ故その再生産は不可能だ。したがってこれから先、いくら萌子の理解者が現れたとしても、その比較対象が父親であるため、萌子は理解者を再生産し続け、彼女の隔壁周辺に配置し続けるだろう。男性が萌子の隔壁を突破し自我に置かれている理想の理解者に昇華する事は無い。萌子が持つ父親のエネルギーが強すぎるのだ。

 福田萌子が自我の理解者を結婚行動の対象として探し続ける限り、今後も彼女は結婚する事は不可能である。
 理由は、父親とは結婚出来ないと言う不文律の存在と同時に、父親以外で彼女を理解する男性は全て、父親との比較対象とされるからだ。結果、男性は全て萌子の防衛隔壁の周囲に配置される(その距離は千差万別であるが)。

<配置され続ける男性群>
 このようにして福田萌子は自らの女性性と、そのキャリアが続く限り男性を周辺に配置し続ける事になる。
これらの事から福田萌子の結婚行動の可能性と言う点で探ると、次の二つの選択肢が考えられる。
 一つは、自分自身と結婚することである。これは福田萌子の理解者を内面化し、それを他我と置き換え、さらに萌子の自我と統一させる事で可能となる。置き換えた他我と自我を統一する事で彼女は自分自身と結婚し、永遠の幸せを得る事ができる。
 二つ目は福田萌子の防衛隔壁の周囲に作り出した無数の理解者である男性の中から、無作為に吸引して結婚することである。この際、重要なのは「無作為」と言う事だ。福田萌子が選択するのではなく。萌子が目を閉じている間に、偶然に落ちてくる隕石のように男性を受け入れるのである。その予測不可能な偶然性のみがインパクトとなり萌子の防衛隔壁を突き破り、父親を破壊するのだ。

<萌子の課題>
 福田萌子の将来についての一つ課題をあげるとすれば、無限の理解者である父親のカリスマ的な父性の否定が行わなければならない。
 現在の彼女は「カリスマ的な父性」と「無限の理解者」が実在する父親に同化している状態になっている。これは父親が存命な内にこれは分離しなければならない。理由は父親の死によってカリスマ化された父性が、萌子にとって永遠に神格化される危険性があるからだ。これは彼女にとって不幸となる可能性がある。

福田萌子の幸せを祈りつつ本論の結びとする。

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