コロナショック!?学校閉鎖の一考察

人の移動

 本当に感染拡大を止めるのであれば「人の移動」そのものを停止する必要がある。(2月28日深夜発表北海道の外出自粛のように)。しかし、それが与える社会的な影響を考慮した場合、余りのも多くの損失を招く結果となる。

 そこで2次的代案として完全に感染拡大を防ぐ事は出来ないが、少なくとも一部の人に対して「人の移動」の制限をかけることは可能である。今回その対象として絞り込まれたのが「子ども」であろう(政府発表のとおり)。

流行時期

 実際、この時期はインフルエンザの流行時期でもあり、毎年規模の大小はあるものの、それが繰り返されている事は承知のとおりでもある。

 また、それは特に幼・小・中・高・特支が集団的に集う教育機関や保育・保護機関で多く発生する事も経験上、広く国民が知っている事でもある。

 その中にあって今回、教育関係者で、かつ大人の感染者が確認された事は重要な意味を持つのではないか。

 前述した感染拡大を防止するキーワードは「人の移動」の制限であり、より不特定多数の移動領域で行動するは紛れもなく「大人」である。

移動領域の限定

 しかし、大人の移動領域を制限する事は難しくとも、間接的に影響を受ける一定の集団を「子ども」に措定した場合、その影響下で感染リスクが急激に増大するのが「学校を中心とする場所である」と判断した結果が今回の全国一斉休校につながったのであろう。

 そして、大人の全体的な感染拡大の傾向は未だ不明であるが、すでに相当数あると仮定した場合、大人から子どもへの感染を最小限の過誤範囲で抑制するには、子どもの集合を学校の閉鎖という方法で規制し、その副次的な効果として「大人の移動」をも抑制する方法が考え出されたのではないか。 

過誤の範囲

 これは子どもを通じて大人の移動を最小限に抑えつつ、社会的影響の過誤を一定程度の範囲に収め、かつ子どもと大人の接触領域を家庭を中心とした範囲に留めおく一つの方法論でもある。

 つまり、子どもを家庭に留め置く事により、その保護監督を大人に強要すれば、大人の移動領域を最小限に絞る事ができる。

 しかも、この場合、すでに大人が感染しているとして、次に子どもへ感染したとしても、子どもを家庭に留め置くことで感染拡大の範囲を最小化しつつ、大人も家庭に留め置く事が可能となる。潜伏期間が長い場合、特に有効な方法論でもあろう。

感染した前提に立った社会的反響

 言い換えれば今回の方法は広く感染している前提を疑似的に作り出す事により、「人の移動」の制限範囲を子どもがいる人々と、そうでない人々に分離し、人の移動領域の分化を通じて感染拡大の防止を狙ったのではないか。そして、仮に感染者がいたとしてもその範囲を家庭内に限定する事により、公の感染抑制をはかったのではないか。

 その事が、今の家族形態や社会情勢に適合しているかどうかは別の問題であり、逆に適合していない事に対する諸問題のあぶり出しがあったからこそ、ここまで社会的な反響を呼んだのではないか。 

反響の本質

 それは、働き方の問題であり、正規職、非正規職の問題でもあり、家族、福祉問題や社会的構造の問題と直結する接続点に「学校という存在」がある事を意味している。

 今回の学校閉鎖と言う方法によってそれらの問題が顕在化されることにより、今後の様々な社会的問題の解決の一助になるのではないか。

 無論、その事により一定の過誤の範囲で不利益を被る人々が存在するのは事実であり、ミクロ的に最も影響を受けるのは子ども、とりわけ厳しい環境に置かれている子どもであろう。

 しかし、マクロの視点で考えた場合、あぶり出された問題点は必ず今後の教訓となる。ミクロな視点での救済を確実に実施し、マクロな視点で問題解決を行うべきだ。

今後の取り組み

 今回の学校閉鎖により提示された諸問題を具体的に解決する案を出してその実行を今後1ヶ月以内に、少なくともこの出来事が収束し、人々から忘れ去られる前に行う事べきである。そうしなければ後々、それぞれの立場の人々に禍根を残してしまう。

 具体的には、一定の不公平や矛盾が生じても可能な限り速やかなる経済的支援である。これはバラマキとの批判も出るであろうが、カネで手当てが出来る問題はカネで手当てすれば良い。

 そこで手当てできない問題こそが本質的問題であり、社会を支える人々の労働需要と供給労働力の問題、つまり実際の手作業が伴う細やかな手当ての問題であろう。そこに切り込まなければ今回の構築された社会的混乱は単たる無秩序な混乱で終わってしまう。

一刻も速い行動と収束を願う限りである。



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