好きだと思っていても

新しく出会った人と少しお付き合いが始まって、この人好きだなー?!(男女関係なく)と思い始めて、だんだん仲良くなって行く。この人には何でも話せるいつも一緒にいたいと長年の良い友だちであっても、いざその人と何日間も時を共有することになると、たちまち嫌な面に気づき始める。そんな経験をお持ちの方は多いのではないかと思う。恋愛の場合もそうかもしれない。周りのご夫婦やテレビで見る人または若い恋人達。恋愛中はすごく優しかったうまくいってたのに結婚した途端にこんなとこ、あんなとこ…。
それは何も相手が騙していたわけでもなく全く知らない内に気をつけていたり良い所ばかりを見せていたりお互いにそうし合っているだけなのではないかと思う。自分もしていることに気づかないだけなのではないか……。
恋から覚めるまたは恋が冷めるという言葉通り正に勝手にお互いが良いところだけ見せていたり見ていたりして実際の相手とは別の人を自分の中に作り上げ、知らず知らずに錯覚をしてしまっている…それが恋なのではないかと思う。そのまま結婚をし、これからもずっと続くと思いきや、たちまち音を立てて崩れていくのを感じ、こんなはずじゃなかったと思い始めお互いに不満を持ち始める。実はそこからが結婚の始まりではないかと思う。しかしいつまでも始まらない場合もあるし少しずつ始まっていく場合もあると思う。昔から結婚することを「めでたくゴールイン」と言い幸せになりますとか幸せにしますとか言う。
ゴールインなら既に幸せであるはず、でも言葉はこれからスタートのような意味合い。実は「彼らは めでたく結婚へのスタート」をしました。と言ってあげるべきではないか…と思う。その意識からあなた方のこれからが 楽しみだとかある意味頑張ってねとか幸せになってね!という言葉が意味をなしてくるのではないかな?と思う。これは結婚を体験した言わば結婚の先輩である私が思っているわけで(自ら先輩呼ばわりは可笑しいがある意味そうかな?)「めでたくゴールイン」という言い方を否考え方を先輩がやめれば結婚と言うものがもっと厳粛で厳かなものになるのではないかと思う次第です。
何も結婚について書きたかった訳ではなかったが、つい逸れてしまった。
言いたかったことは人との関係を「適度な距離を保つこと」が仲良くする秘訣だとよく耳にするが
人生において「本当のこと」をテーマにしている私は、それでは本当に仲が良いとは言えないんでは?と思ってしまう。
人との関係の基本は家族なのではないかと思っているのだけれど、夫婦が本当に仲が良く本当のことを何でも話し理解し合っている両親の元に育った子どもは、自然に人と仲良くすることが身についていると思う…が、結婚となると相手がいる訳で、まずはその相手と理解し合う関係を育てることが人生の大きな仕事となっていく。
人がこの世に生まれどう生きるか…という事をそんなふうに考える。【何を成したか】と言うより【どう生きたか】が人生だと思う。
こんな人がいてもいいかな?

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