《桜を見る会》

詳しいことは分からないが、何やら社会に貢献した人たちを国が招待し、その功績を讃え《お花見》と称して飲み食いする会らしい。
そこを常にあら探しをしている野党が突っ込む。といういつものアレだ。
こういう時必ず思うのは【本当の事】をなぜ言わない!と思う。、きっと本当は吉田茂が総理の時代に始まってそれが恒例になっていた。
それを時代の変化に合わせて変えてくるべきだった。ずっと気づかずここまで来てしまった。と普段から正直に誠実に応えていれば、国民の信頼を得られるのではないだろうか。[普段から常に]これが大切だけれど。

それが公僕の方たちが仰るのは決まって「これが恒例ですので…」恒例というのは毎回見直さなければならないものではないだろうか……。エスカレートを防ぐためにも。
時代は日に日に変化して行っている。
小さな単位の家族の中でも「そう言えば毎年の事なので気づかずにやってきていたけど、これもう時代錯誤だよねー、もう止めようか…?」という事がいくらでもある。
なぜそれが起きてこないのかと考えると、やっぱり他人ごとなんじゃないだろうか?自分の責任の元に行われるはずが、人のお金だからなのでは?
特に税金を使うという時に議員一人ひとりがプロとして我が金庫から出ていく物に対していちいち見直すことが、国民から預かっている人の態度ではないだろうか。
議員の下で働く公務員を育てていくのは議員であって、公務員に恒例事業を教わって遂行される。そして挙げ句は事務方に任せているという丸投げ状態。それが成長しない国の実態なのだろうと思う。
【政治理念】というものを掲げている看板のような物で、看板さえ立派なものであればあとは恒例に則ってやっていけば良い。ずっとずっとそうやってきた。
だから誰でもなれる。政治に興味がなかった人までお声がかかり、当選すれば政治家としての給与が与えられる。それを当選させてしまう…という国民の責任も大きい。試用期間も初任給もなく「ハイ、今日から国会議員です」と高額な収入を得られる。無責任な人しかなれないのかもしれない。

《桜を見る会》の本当は、恒例になっていて、根本から考えるのではなく、総理になったらいくらでも自由に行う権利を得たかのような位置から何時の間にか私物化していたのだと反省しています。が本当のところではないだろうか。いや、分かりませんよ?私普段から政治に詳しくないので……。でも、一般の社会でも家庭でも規模の大小はあるけれど、そんな事だらけでしょ?
子育てだって夫婦の間だって見直し気づき、いっぱいある。
家族の主婦として責任を持ってやって来た。
国の長ですぞ!国の代表ですぞ!そしてその下で働く公僕ですぞ!
責務の重さで夜も眠れないくらいあれやこれや考えて欲しい。
言われる通りに間違いのないようにやれば良いのなら、実は誰でもできる。あなただからできるのだ!という事をやってほしい。

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