言葉で考える

以前は、考えると言っても漠然と感覚的に思うと言うか、混沌としていて憂鬱だけがそこにあるとか、感情のようなものに支配されて、そこに立ち止まっているような感じがあるだけで、何も生まれて来なかった。
悩みが充ち、ハッキリしてからは、言葉で考えるようになっている。言語化すると言うのが正しいと思う。昨日のように、土いじりをしながら、いつの間にか耳に入って来る会話に対して、自分の気持ちを「彼女の気性であんなふうに言われるのは、耐え難いだろうなー?それとも、それ以外の会話はあり得ない、当たり前なのだろうか…」とかを思うという具合に。言語化せずに思ったことは、言葉にしてみると、たった一瞬と言うくらいの間に、こんなに沢山のことを思った(考えていた)んだー…、と驚く事が、多い。夢と似ている。長々と見ていた気がするが、実際には、一瞬だったのだ…と思うことがあるし、夢とは一瞬に見ているのだということを聞いたこともある。
そのように、夫とお茶をしている時とか「今 何考えてた?」と聞くと「え?何だっけ?」と忘れてしまうほどに一瞬だ。しばらくして「そうだそうだ、こないだ〇〇さんと会った時に最近のことを色々聞いて、その事が意識に上ってきていた」と言うようなことがよくある。
それは、私が質問をしたから、そのことを考えていた自分に気づくのだけれど、質問されなければ、考えたことすら気づいていないことになる。無意識の彼方へしまい込まれるのだ。それが私は、考えている時に常に言葉で考えているので、聞かれれば直ぐに応えるようになっている。説明すると、言葉で考えていても、一瞬に多くのことを考えている(思っている)のには驚く。
悩む事があるとしたら、それを言語化しているので、自ずと答えが見つかったりもする。
例えば、我が家の二人の孫は、どちらもフリーターだ、私の息子二人もそうだっが、その時も不安も重なり、その状態の長さに悩むことがあった。結果それを誇りに思う程の大人になっている。けれど、再び孫も…と思うと、これはキツイなー!と思っている。片方は目的がはっきりしていて、生活の全てがそのことで成り立っていて、家賃こそ払ってはいないが、食費、光熱費、その他の経済的なことは一切自分で支払い管理し、そのために寝る間も惜しむ程に活動している。こちらが起こすということは、全くない。あるとしたら、寝不足が続いて自信がないから何時までに起きていなかったら起こして欲しい旨をメモにしてテーブルの上にある。もう一人は、大学を中退し迷走している。こんなことを悩み、前者は「ハッキリしているじゃない?彼の人生を私が悩んでどうするの?話を聞いたとしても、漏らさず言葉にできるわけが無いのだから、あなたが悩むことではないでしょ?人の分まで生きようとしているのと同じことだよ」と。「そうそう、そういう事」と、このような対話。もう一人のことも「この人はやりたい!と思うことが無い、見つからないのだから、それこそ、焦りもあるだろうし、やり場のないエネルギーが爆発しそうなのかもしれない、でも彼は静かな人なので、それも表には現れない。キツイのはあなたではなく、彼の方でしょ!そうだよねー!72歳のあなたは大きく両手を広げ受け止める。それがあなたのすることよっ!どちらもあなたの人生ではない!」とこんな具合に私の中では解決している。
それは自分自身と会話していると言っても良い。自分の悩みを自分の魂と語り合う…。実はそれが〈神との対話〉または〈祈り〉にも思える。〈祈り〉は、〈願い〉ではない。
本当に素晴らしく出来ている。

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