憎しみや恨みや悲しみ…

事件や相手のある事故をいつまでも忘れずに憎み続けることが良い事(?)とするような文化を感じる国がある。私たちの国にも少なからず存在しているのかな?
更に苦しむことや我慢をすることも美化されているような気がする。
阪神淡路大震災…25年になった。
他にも沢山の災害や事故、事件がご家族や私たちを苦しめ、悲しませる。私の個人的なことでは、母親に対する憎しみ、更には自分に対する同じような想い、私を取り巻くそのような想いのやり場を探し続けていた頃、先ずは自分を赦すことを知らされた。先ずは自分だった……。
それを体験すると他のことも自然と受け容れ楽になり、そして幸せになった。そして更に気づいたことは、忘れさせて頂けるんだ……ということ。【忘れる】というのは、色んな使い方、感覚があると思うが、忘れ去ってしまうとか風化するというのとは少し違う。むしろ、ある意味では想いの中に留まっている。
けれども苦しみや憎しみや恨みは消え去ってしまっている。
私は人間がそのように出来ているとさえ感じている。ありがたい。
ありがたく受け取っている。
忘れることは罪ではない。「忘れてはいけない」と「どうしても忘れられない」は違う。後者の方は、それはとても大切な想いだし辛い事だと思う。寄り添いたい気持ちがある。
「忘れてはいけない」と自分に言い聞かせている人、頑張っている人を見ていると苦しくなってしまう。

忘れてもいいと思う。何かのときにふと思い出す……それはそばに居てくれる…そんな気がする。

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