全く見えなかったもの

目を向けなければ全く見えない、見たいと思っても遮るものかがある。その遮るものの強固さ、その強固なものより更に強く知りたいと望む…こう書きながら見たいと思うのも
強固に遮るものも強く知りたいと望むのも、この全てが私の中で起こっていることなのに、それはそれは何とも苦しいエネルギーの要ることだ。一瞬にして消えていくもの…それは自分の気持ち…自分の気持ちなのに分からない、本当に分からなかった。
記憶にも無いくらい幼い頃に隠してしまうことを身に着けてしまったようだ。幼いがゆえに閉じ込めなければ恐ろしかったのだろう…か。それとも ただの記憶の彼方だからなのだろうか…。
でも子どもたちの変化を見ていたあの頃感じたのは私のことが本当に怖かったのだろうと、関係ない人の怖さよりも求めている分母親の方が怖いと思う。その頃長男がよく話すようになっていた。以前は何を聞いても「分かんない 別にー 知らなーい」という言葉しか発しない状態だった。その頃どなたの発言かは分からないけれど、そのような若者の現象を「3無主義」と呼んでいた時代で正に長男もそれを象徴するような状態だった。
それがよく喋るようになって、その内容の殆どは担任のことだ。私より10歳以上年上の女性だったが、まるで男性のような言葉使い動作そう書くだけで想像がつくような「権威主義」とでもいうか鞭でも持っていそうな……。その教師には私も反発を抱いていて何度か話に行ったことがあった。
それは我が家のお小遣いのあり方や私達(親)の考え方みたいなものにも口を出される感じがあったから…ではあるのだが、思えば権威主義なのだから逆らうものを許さないそんな感じだったのだ。
それで話を戻すと毎日毎日 学校から帰るやいなや立て板に水の如く「先生がね、〇〇君が授業中に隣の人と、ちょっと喋っただけで廊下に出て立ってろ!ってすごい剣幕で怒るんだよ!それでねっ!…それからねっ!…すっごいムカついた!!」と以前は一緒になって私も腹立たしい思いで聞いたり話したりしていたのに、その頃は「そーう、ムカつくねー、何でそうなのか聞いてくれないんだー…」とか「先生 ちょっと昔の人って感じだよねー」とか言っていたのだけれど毎日毎日大変だなー…と思いながら何か私自身が関係しているのではないかと感じていたことに気づいた。
何日かかかったと思うが、あー、この先生はこの子にとって私なのだー…と、それを訴えていたのだと思ったのだ。
「この先生が私」それを説明するのにぴったりの言葉をずっと近年まで探していたのだが見つかった「怒りの代替え」これがピッタリの言葉、35年経って見つかった。このようなことがよくある。
怒りの代替えは世の中でよく出会う気がしている。
大抵の怒りは目の前の人や出来事だけに留まらないことがよくあると思っている。
子どもは母親に怒りを表すことを恐れているし、それは悪いことだと思い込んでいて思い込まされていると言っても過言ではないと思うけれど、なので世の中全体が怒ってもよいと認めることへ、転移させ代替えを見つけては、そこで晴らすのだ。
イジメる子達の内訳もそのようなところに根があるのではないかと思う。代替え。

「いじめられて自殺する子」は親に言えないんです。それは、優しい子だから、と一言で言えるような内訳ではないと思う。親が困ったり怒って学校に怒鳴り込んだり、心配して親の方が落ち込んでしまうのを見るのは子にとって更に苦しいことなのです。これ以上背負いきれないのです。もし「行かなくても大丈夫、勉強が遅れる…そんなのどうとでもなる、あなたが安心して居られることが一番大事だ。
「親の立場などあなたが気にしなくてもいいの」と言ってくれるような強い親のならば死ぬまでも至らないと思う。
親さえ認めてくれれば、理解してくれれば、決して死など選ばない。
そう思っている。
正に以前の私には、全く見えなかったと思う。
自分が最終的に守るもの、それが自分だなんて思ってもいなかった。そうしている自分を気づかせたのも、この小さい子ども声無き声でした。心配で心配で耐え難い思いを怒りに替えて子どもにぶつける。それは、正に私の弱さだった。自分が弱いだなんて見たくなかったのだ。私のメンツが許さなかった。
弱い自分を発見し認めること、それだけで強くなれる。不思議だけれど、そうできている。心配でたまらない自分を自分が受け止める。それは自分を愛することであり他者(自分以外の人)を愛すること。
子どもに同感するのではなく共感するのだと思う。言葉を厳密に思うと見えてくるものがある。



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