家族

夫婦親子つまり家族 子供がまだ親と旅行を楽しんだり買い物に一緒に出かけたりしている内は何となく仲の良い家族をしている気がしている。
それはつまり、出かける先がその関係の媒体となっている。
ペットを飼う、これもそのペットを介して仲良くしているつもりでいる。こんな事を他の家族を通して感じていた。(親の側がダイレクトに向き合い方が分からない。その上の代も分からないまま来ているので、気づくしかない)
しかしその仲介役が役に立たなくなるときが来る。
それは、他の人と出かけるようになったり、ペットの代わりになるものを見つけたり、またペットが死んでしまったり…。
そうなるとたちまち関係が壊れていったりする。(それでも気づいていない)
直接向き合うことをせず、何かを介することで分かり合っているような気になっていただけだ。(特に親の方が)
これは夫婦にも親子にも言えることだ。
こんなことは、一般的に職場や学校やご近所付き合いでも見かける。
誰かを【好きじゃない】とか【批判】の対象が同じということで意気投合する。そして仲間意識へと変わっていく。
それは本当に仲間なのではなく仲間のような気でいるだけで、何か起こるとたちまち崩れ落ちる。
その場合、それまでに自分を見せ過ぎていて何もなかった時よりも最悪な関係になる。
そんな経験やそんな光景を見たことありませんか?
これは女性だけの話ではなさそうに感じる。
誰かとつるんでいなければ不安な人たちなのかもしれない。
夫婦でも【価値観が合う】なんてつもりでいても、実はただのこれかもしれないことがあるような……。行った先に目を奪われ心(ディズニーランドなどまさにそのもの。夢を買う。まさに夢でしかない)を奪われていて、家族の関係の問題はしのがれているだけで、解決しないまま、そういう月日を過ごしていく。
問題と言うより向き合い方が分からないから、と言った方が的確かもしれない。
そして思い出として残る。思い出作りなんて言葉があるように、思い出を作らなければならない。
思い出を残すことが意味を持つようになり、次に成人し恋愛の相手や結婚の相手にもそれを求める。2〜3歳児なんて親が教えなければ、または誰かの話を聞かない限りどこか旅行ししたい…などと思いもしないはず、だって経験として持っていないから。そしてその誰かも同じ状態なのだろう。
今度のパパとママのお休みの日は、これをしたい!そこの公園であの遊びをしたい…と思っているが表現できなかったり、親の方が「それより〇〇へ行こう!」ともっと遠くの、(大人が思う)「もっと楽しいとこ行こう!」と誘われればそうかも知れないと思ったりもする。そして欲求不満が生まれる。でも原因は子供本人にも分からなくなっていく。
「ウチの子欲求不満の塊なのよ」というのは、そうやってできていく。
欲求不満とは、欲求が満たされていない状態。その満たされない欲求とは何か…と考えることがない。

そのうちお金のかかること大きな事でなければ満足しなくなる。
そうなってきたら今度は親の方が不満に思うようになる。自分が蒔いた種だとも気づかずに……。
親はどこか豪華なところへ連れて行くのが良い親のような気がするのだ。
そして子供が求めた近所の公園では親の方が満足しない。しかも親にとっては退屈なのだ。
子どもの方は、そこでお父さんと遊べるだけで大満足!!毎日の遊びをどうやってるのかを見て欲しい。以前は出来なかったおスベリを見て欲しい。「ほら、出来るようになったんだよー!こんなことも、あんなことも」だってまだ人生2年目なんだから…。どんなにワクワクしているか、どんな喜びを味わっているのか、それを感じとってて欲しい!お父さん(お母さんがいつも一緒じゃなければ、お母さんも)と喜びを共有したい!それが幼少期の子どもの願いなのだ。お金はかからない。気持ちが欲しい!!
親の側に子どものその気持ちさえ見えればありふれた近所の公園でも大きな幸せを感じるはず。
時間もお金も労力も半分以下で済む。

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小学校高学年の頃私は【本当のことが知りたい…】という思いが強く人の言葉の奥に隠された本当のこと…。 ふとした態度の奥に隠された本当のこと…。表情の奥に隠された本当の気持ち…などなどそれは半端ではない強さで私の中に存在していて私を悩ませていました。60年も前からの話です。

コメント1件

やはり人間は、全ての人が、自分ひとりの孤独な時間を持つべきかもしれません。孤独を知らないと、深く人を愛せない。そういう意味では、孤独は悪くないとも感じます😌🍀
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