私の周りのせからしい(ウザいかな?)同年齢の人達

「せからしい」は私の育った地域の方言。ピッタリな言葉が標準語には見つからなくて、我が家では当たり前のように使っていたら、20代の孫達が標準語だと思って使ってた…と言う笑える話がある。(嫁のNも使うので😂)そのくらい便利なので。

さて、私がせからしいと思う人達は、私がどこか具合が悪い話をすると、それも相手から「最近ど〜お?」と聞かれて、ついそのまんまを話すとまるで医師の問診のような質問をし「あ、それあれじゃない?」とか「こうしたらいいんじやない?」とか、果ては「こうした方がいいよ」と…。「しまった!またやっちゃったー…。」と思うのは、私の方。聞かれたことに素直に答えてしまう私が失敗した事に、私の中ではなってしまっている。
なぜなら、何度言っても同じ事をやられてしまうのだから、学べよー!と自分に思う。何度かこちらの気持ちを言った事があるが、彼女達曰く「娘にもよく言われる」とか他の家族にも……。
それでも、何年も続いている。だから、私の方が「またやっちゃった!」なのだ。
それから「それねー、こうした方がいいよ!ああした方がいいよ!」
何のために良いの?と聞きたいけれど、多分喧嘩を売っているように思われると思う。
なぜ、この事を書き始めたかと言うと、そういう人達の中は、どうなっているのかなー?と、ふと考えたらしい。(私が)
それで結果重視主義とか、早く良い(その人の思う)結果を得たい…というものが無意識の中に常に流れている…感じかも…と思った。常に次はあれをして、そしたらこれをして、と次から次に行動するのみ。まるで人生の時間を何かをすることで埋め尽くしている人。そしてそれをいかに効率的にこなすか…。勿論、私だってそういう時もある。でも人生の全てを……。
じゃあ、私はどうなの〜?どうなってるの〜?と考えてみると、やりたいようにやって、得た結果が私の結果。そんな感じがする。
多分、そのやりたいように…というのも、いくつもの経験を通して得たものから起こってくるやりたいように(その時その時の年齢に経験した積み重ね)…で動いていると思う。結果は後からついてくるもの…となっているようだ。経過のところもよーく見て、それから得た結果にも関心がある…とこんな感じがする。そしてそこから学ぶ。失敗も宝物。彼女達はまず結果を見据えてそこへ向かう。そんな感じがする。
人生をビジネスのように生きている。
またアドバイスをくれるその内容が「そのくらい私だって分かるわよ」とか「考えてみたに決まってる」という程度の事で、むしろ私の方が物事の経過や結果をよく見ていて、普段の話に感心してくれたりしているのに、癖になってしまっているように、ズーーーッと、それをしてくる。当然内容も薄っぺらで軽い。だから言えるのだ。思慮深ければ言わないよね。
きっと「分かる分かる!」とか「居る居る!」と言ってくださる方が多いのじゃないかな?と思いながら書いてみた。

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