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肝芽腫と診断されてから〜①引越し準備〜

出発まで24時間もない。

(私で大丈夫かしら。。急いで帰ってきてね。)と不安がる義母に娘の付き添いをお願いした。

うちは完全別居の二世帯住宅で頻繁に義父母との行き来が
あったおかげで、娘はじいちゃんばあちゃんっ子に育っていた。

主人は小児慢性特定疾患医療費助成の申請に、私は引越しの準備に走った。

急遽姉からキャリーバックを2つ借り、急いで荷造りした。
(姉は私の安全基地だ。甘々の妹は何かと姉に助けを求めるのだ。)
タオルだけでもなかなかの量になったが詰められるだけ詰めた。
娘の好きなぬいぐるみもなんとか厳選した。

荷造りを済ませ病院へ帰る途中、実母のいる老健施設へ向かった。
1分程の面会だった。
母を抱きしめて「元気でね!」と伝えた。
心残りがひとつ減った。

その晩保育園の先生が面会に来て下さった。
娘はとにかく保育園が大好きだった。
登園はなんともスムーズで
退園は「まだ遊ぶ!!」といった態度で、なかなか靴を履いてくれなかった。
「いやいや、お迎えの時は喜べよ!!」と夫とよく笑って話していたが、娘の楽しそうな姿を見ていつも嬉しかった。
先生方はいつも笑顔で穏やかで、安心して預けられる場所だった。面会に来てくれた先生は私たち夫婦の手を握り、「絶対良くなるから!!この子は強いから!!大丈夫だから!!!」と励ましてくれた。
気持ちに寄り添いながら励ましてくれる先生は、姉御肌で逞しく情に厚い。
娘が大好きなはずだ。
私たちは涙が止まらなかった。

病院でもややこしい退院手続きと退院の荷造りであっという間に時間が過ぎた。

私たちは夜明けを待たずして、朝4時に退院した。

ここまで腫瘍が大きいと痛みがそろそろ出てくるはずだと、鎮痛剤を処方された。

帰宅後、娘は腹痛で泣き喚いた。肝芽腫発覚後こんなに強く腹痛を訴えることは初めてだった。すぐに鎮痛剤を内服させ主人と娘のお腹を摩っていると徐々に落ち着いていった。(気づいてやれなくて本当にごめんね)夫婦で娘を強く抱きしめた。

私たち家族は、朝7時の便で福岡へ出発した。

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